真景累ヶ淵~桂歌丸



圓朝以来の「お熊の懺悔」を加えた通し7時間たっぷり

三遊亭圓生(林家正三・古今亭志ん朝)の真景累ヶ淵および各解説はこちら

真景累ヶ淵~桂歌丸

真景累ヶ淵 1/7「宗悦殺し」


真景累ヶ淵 2/7「深見新五郎」

真景累ヶ淵 3/7「豊志賀の死」

真景累ヶ淵 4/7「勘蔵の死」

真景累ヶ淵 5/7「お累の自害」

真景累ヶ淵 6/7「湯灌場から聖天山」

真景累ヶ淵 7/7「お熊の懺悔」

鉄砲を撃ったのはお賎。惣右衛門が鳥などを撃って遊んでおり、お賤も教えてもらって何度か撃ったことがある。

甚蔵の死体を崖から突き落として、新吉とお賎は姿を消します。

甚蔵の遺体が見つかりまして大騒ぎとなりますが、日頃からの鼻つまみ者、お調べもそこそこに誰も悲しむ者もなく投げ込み同様に法蔵寺に葬られました。

新吉とお賎の失踪も、浮気者の駆け落ちとさほどの調べもなく落ち着きます。

七年後、下総松戸に掛け茶屋があり、ここに馬子の作造が入ってきます。
馬を休ませたいと言い、膏薬を買ってきたいと言う婆の代わりに店番をします。

そこへ作造を呼ぶ声。葦の衝立の影に夫婦連れと見える二人。見れば新吉とお賤。

作造は、三蔵の母親が亡くなり、三蔵が紀州の高野山まで骨を納めに行くのに松戸の宿まで送っていく途中だという。

これを聞いた新吉は三蔵を襲おうと持ちかけ、枝川の近辺で馬に水を飲ませるなどと言って三蔵を馬から降ろせ、お前には三十両渡す。あとは俺にまかせておけと話ができて店の外へ。

手はず通りに作造が三蔵を馬から降ろしますと草むらに忍んでいた新吉が、伴の与助を川に突き飛ばし、三蔵を斬り殺します。

戻ってきた与助が短刀を抜いて新吉に斬りかかるのをお賤が後ろから引き倒す、与助は振り向きざまに石でお賤の顔を打ちます。

これを見た作造が与助の脇腹を蹴ってひるんでいるところへ新吉が止めをさし、二人の死骸を川の中へ放り込み、さらに、三十両をもらいたいと近寄る作造も斬り殺します。

石で顔を打たれたお賤、痛い痛いというのを見ると顔の半分が赤黒く腫れ上がり、豊志賀やお塁の顔と同じよう。

夜になり一軒の観音堂をみつけて軒下で休んでいますと一人の老尼が草刈り鎌と野花を持って中へ通します。

新吉が囲炉裏に粗朶をくべますとその明かりの中で老尼の顔を見たお賤が、お前はおっ母さんではないかと言い、老尼もお賤と認めます。

老尼が身の上を語りだし、十六の歳に駆け落ちをして男の子を生み、名を「甚蔵」。深見新左衛門に奉公をした時に産んだのが「お賤」。

すると新吉とお賤は腹違いの兄妹、畜生道に落ちたかと悲嘆して、尼の持っていた鎌でお賤を殺し、自分も喉を掻ききって果てます。

この鎌こそ、お久を殺し、お塁が自害をした鎌でありました。

覚書

桂歌丸のライフワーク。「お熊の懺悔」は圓朝以来演じられることのなかった噺で歌丸が復活させました。

皆川宗悦と深見新左衛門にまつわる因縁話の総まとめとなります。

お熊の懺悔によって、新吉とお賤が腹違いの兄妹であったことが判明し、噺には触れられていませんが、圓朝の速記本では土手の甚蔵がお賤の兄であったことも綴られています。

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