浜野矩随~立川志の輔・古今亭志ん朝・三遊亭圓楽【動画】



立川志の輔~浜野矩随


浜野矩安(のりやす)という腰元彫りの名人、女房とまだ二十五の息子矩随(のりゆき)を残して早世します。
後を継いだ矩随ですが、腕は並以下。取引してくれるところもありません。

先代に世話になったからと、矩随が拙い細工を持ってくるたびにこれを買ってくれるのが、芝神明前にあります袋物屋・若狭屋新兵衛。

今日も彫った馬を持って若狭屋を訪ねてきます。
若狭屋はこれを見て矩随に尋ねます。

「矩随さん、馬っていうのは足は何本だ?」
「四本です」
「この馬は三本しかないが?」
「すみません、明け方にふとウトウトとして足を一本落としてしまいました」

これを聞いて若狭屋は怒り出します。
お前の父親にずいぶん世話になったご恩返しのつもりであんたのものを引き取ってきたが、もう愛想がつきた。

五両の金を渡して、これは手切れ金だ。金輪際うちの敷居は跨いでくれるな、下手な職人は生きてる価値がないから死んでしまえと厳しい言葉を投げかけます。

家に帰った矩随、母親にこのことを話し、あの世で父親に詫びたいと言います。
それなら死になさい、だが形見に母に観音様を彫ってくれと言います。

矩随は水をかぶって身を清め、七日七晩の間一心不乱に彫り続けます。

仕上がったものを母親に見せますと、これを若狭屋に持って行き、三十両一文も負からないと言って売ってきなさい。もしお買い上げがなければもう帰ってこなくてよいと言います。

矩随が出かけようとしますと「お水を一杯ちょうだい。半分をお前もお飲み。では、行ってらっしゃい。」と送り出します。


覚書

講談で語られたものが落語に移されました。
初代三遊亭円右が明治期に得意として広まり、戦後は志ん生が得意としました。

この噺を好きだという人と嫌いだという人があり、現代の客に合わせて演じ手がどういう解釈をして演じるかによって人物の印象が随分変わります。

まずは矩随が、足を落とした馬を売り物としようとする場面で、矩随自身がいい加減な男だという印象を与えてしまうということ。どうしたって矩随の落ち度ですが、一生懸命作っているが認めてもらえないジレンマがうまく出るように演らなければならない。

若狭屋は人情に厚い商人という設定ながら、いくら怒ったとは言え、矩随に死んでしまえという言葉を投げかける、矩随が名人と言われるようになると以前の駄作に高値をつけて売る場面もあり、買い手のほうがどんなものでもいいから売ってくれという気持ちのほうをかなり強く出さないと感情的で強欲な商人というイメージになってしまいます。

そして、母親の自害。息子の彫り物が良くできますように、もしそれが叶いましたら私は死んでもかまいませんと仏壇に手を合わせ続けますが、この美談も現代ではなかなか実感の湧きにくいものになっているように思います。

明治期の円右までは母親は蘇生するかたちで演じられることが多かったのですが、志ん生は講談の筋通り母親が自害をして亡くなってしまう演出に変え、母親が死ぬことで矩随の覚悟が定まるという演じかたをしました。

志ん朝、三遊亭圓楽などもこれを踏襲、志の輔は母親が生きていても矩随の覚悟は変わらないという解釈と、ホッとしたいという現在の観客の気持ちにも答えたのでしょう、母親を蘇生させる演出にしています。

古今亭志ん朝~浜野矩随

古今亭志ん生~浜野矩随

三遊亭圓楽~浜野矩随


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