紫檀楼古木(したんろうふるき)~三遊亭圓生・林家正蔵



珍しい狂歌噺

紫檀楼古木~三遊亭圓生

紫檀楼古木という狂歌師。蔵前で羅宇問屋を営んで財をなしましたが、番頭に店を任せて自分は狂歌三昧。

そのうち番頭が大きな穴を開けて姿をくらまし、借財だけが残って店もとられて裏店住まいになり、流しの羅宇のすげ替え屋になって生活をしております。

女房が愛想をつかして離縁状をくれと言いますと、古木は扇に狂歌を書いて渡します。

「凧(いかのぼり) 長き糸巻きさて切らば さぞや子供の泣きや明かさん」

仲人にこれを見せますと、女房子供がかわいくないわけではないと、女房を諭して古木のもとに帰します。

ある寒い日の暮れ方、薬研堀の粋な家で羅宇のすげ替えを頼まれ、その場で直して女中に渡します。

受け取った御新造が早速一服つけようとしますと、女中が「汚い爺さんが吸い口を吸ったから、お湯を通してきます」と言う。

そんなに汚い爺さんなのかと窓から下を見て「本当にムサイ」と言うのを聞いていた古木、狂歌を書いて御新造さんへと女中に手渡します。

「牛若の御子孫なるか御新造が 我をむさしと思い給ふは」

御新造は、私が爺さんのことをむさいと言ったので、牛若になぞらえて詠んだもので見事なものだと感心して返歌を詠みます。

「弁慶と見たはひが目かすげ替えの 鋸もあり才槌もあり」

それを見た古木は誉めて、また返したのが、

「弁慶にあらねど腕の万力は きせるの首をぬくばかりなり ふるき」

これを見た御新造、「ふるき」の名を見て、これは自分の旦那の狂歌の師匠のその上の師匠だとびっくりし、風邪でも召すと大変だと旦那の綿入れの羽織を差し上げてほしいと女中に持たせます。

覚書

狂歌噺というめずらしい落語で、仲が悪いと言われた圓生と正蔵が競ってかけていました。

狂詩集『寝惚先生文集』(明和4年(1767年) 蜀山人著)が出版されて以来「天明狂歌」と言われるほどの狂歌ブームが起こり、江戸の末期まで続きました。

特に有名なものとして、
松平定信の寛政の改革を、前の田沼意次の政治のほうがよかったと詠んだ
「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」

幕末の黒船来航で国内が騒然としているのを詠んだ
「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」

落語のほうではひどい女郎屋の部屋の壁に
「この楼(うち)は 牛と狐の泣き別れ もうコン、コン」

川柳は現在でも人気があり、『雑俳』などは演者が工夫をしていますが、狂歌は近代以降人気が衰え、狂歌噺もそれとともに衰退していきました。

紫檀楼古木~林家正蔵

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