松曳き~柳家小さん・桃月庵白酒



こうなっては切腹を斬らずばなるまい

松曳き~柳家小さん

粗忽な大名 赤井御門守が、殿様に輪をかけた粗忽者の家来 田中三太夫を呼びます。

築山の松の木が月を隠すので、泉水べりへ植え替えられないかと聞きます。

三太夫は、あの松は先代のお手植えの松、枯らすようになりますと先代を枯らすことになる。餅は餅屋と申しますので餅屋を呼びまして、、いや植木屋を呼んで見通しを立ててもらってはどうか言って殿様も承知します。

ちょうど来ていた植木屋を殿の前に呼んで植え替えができるかと聞き、植木屋ができると答えると喜んで植木屋の仲間も呼んで庭で酒宴を催します。

そこへ使いの者が国表から早馬で書面が届いたと三太夫に知らせが入ります。三太夫が手紙を読みますと、「国表において御殿様姉上様、御死去」とあり、あわてて殿に報告します。

殿も驚き、いつのことだと聞きますと慌てて他を読まず書状を持ってくるのを忘れたと、取りに戻りますが手紙は自分の懐に入っている。

改めて読み直すと「国表において御貴殿姉上様、御死去」と三太夫の姉が死んだ知らせ。

三太夫、切腹お手打ちを覚悟して、殿様のところへ間違いの報告に向かいます。

談志は晩年「イリュージョン落語」という言葉をよく言っていましたが、これについて弟子の立川志らくが著書「落語進化論」でこんなことを述べています。

泣かせることが(笑わせることも)落語の目的ではなく、この芸能でしか表現できない世界を客に体感させてこそ落語なのだ。
我々が表現すべきなのは、非日常、非常識の空間である。談志はそれを「イリュージョン」という言葉に集約した。

笑わせる芸能は落語以外にもある。泣かせる芸能はさらに多い。しかし、非常識を体現している芸能は落語しか無い。例えば、親孝行を覚えたって無駄「二十四孝」、女にもてるため欠伸を習う「欠伸指南」、吉原でタダで遊んでいしまおうという「付き馬」、「居残り佐平次」。

この松曳きも、殿様が姉の死を聞いて「やさしき姉であった、美しき姉であった」と悲しむところなどが落語ならではの非日常、非常識の世界観を演出したイリュージョンということなのでしょう。

松曳き~桃月庵白酒

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