鰻屋~橘ノ園都・桂枝雀・古今亭志ん生・桂文我【動画】



開業したての鰻屋で

鰻谷・鰻屋~橘ノ園都


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鰻谷(鰻谷の由来)

魚料理屋の「菱又」(ひしまた)の主人は偏屈者で、普段は店を開けず、魚が不漁で他の店が開いていない時に限って店を開きます。

ある日、大層な不漁で他の料理屋が軒並み店を開けられない。菱又の主人、ここぞとばかり仕入に行きますが魚はない。

これでは暖簾に関わるともう一度探しに出た主人、安綿橋(やすわたばし)の下に大量に「ぬるま」(鰻)が湧いているのを見つけます。

当時は「ぬるま」などは誰も食べず、それどころか「ぬるまを一口食べると死ぬ。年回りの悪い人はぬるまの姿を見るとその年にはろくなことがない」と忌み嫌われていましたが、主人はなんとか食べることができるだろうと籠ですくい、試行錯誤の末に蒲焼きにします。

よい匂いにつられて来た人が菱又に来ますが、ぬるまと聞いて逃げ帰ってしまいます。

そこへ新橋で浪速五人男の雁金文七たちと薩摩の侍が喧嘩をしていると聞いた主人が収め、双方を菱又に連れてきて仲直りをさせ、女房のお谷が自分の手料理だと言ってぬるまの蒲焼きを出します。

ぬるまと見て雁金文七は、自分達の度胸を試すつもりで出したかと食べますが「旨いなお内儀、なぁお内儀」と言ったことから「うなぎ」と名前が変わります。

これに字を当てようと、魚へんに(日四又・ひしまた)と書いて「鰻」。お内儀の名前「谷」をとってこの地が「鰻谷」と言われるようになりました。

鰻屋

一杯呑ませてやろうと誘われた男。

この前、他の男に同じように言われてついて行ったら、難波橋の傍に連れてこられて川の水を腹いっぱい呑め、「肴は?」と聞くと釣るなりすくうなり好きにしろと言われた。あげくに川に落ちて死ぬ思いをしたから懲りていると言う。

そんなことではない、開業したての鰻屋がうなぎをうまく掴めず、四苦八苦しているのが面白いので、これを見ながら一杯やろうと言います。

覚書

鰻谷の由来は、橘ノ園都本人も言っている通り園都以外に演り手がなくなってしまった噺ですが、妙に説得力があります。

「鰻屋」は東京上方ともに演者の多い噺で、東京では五代目の小勝、圓生、志ん生、志ん朝など、上方では春団治、枝雀、文我らが持ちネタにしていました。

もう一遍、「素人鰻」(士族の商法)は明治維新後の秩禄処分(ちつろくしょぶん)によって家禄を失った士族が鰻屋を始める噺で、八代目 文楽の独壇場でした。

鰻屋~桂枝雀

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