『お笑い・漫才芸人列伝』
古今東西のお笑い・漫才芸人の貴重な映像・音声を集積。
明治・大正・昭和・平成・令和の数々の芸人を、映像と音声で紹介します。
Produced By 聴き比べ落語名作選
『レトロアニメジャパン』 NEW!!
あの頃。夢中になって観たアニメやドラマ
昭和のアニメやドラマを映像で追体験!
Produced By 聴き比べ落語名作選
六尺棒~立川談志
道楽息子の孝太郎。「床屋へ行ってくる」と言って吉原へ行き、十日居続けた夜、家に帰ってきて店の戸を叩きます。「夜半おそくどなたです? 店は十時限り、お買い物なら明朝にお願いします」と中から親父の声が聞こえます。
息子の幸太郎だと言いますと「幸太郎のお友達でございますか、極道が過ぎるので勘当にいたしました」と、とりつく島がありません。困った幸太郎は、一人息子で後継ぎはどうするのだとか、死んでやるなどと脅しますが、親父に一向に聞きません。
こうなれば最後の手段だと「家に火をつけて燃やしてやる」と、袂からマッチを取り出し、、
覚書
文化4年(1807年)十二代徳川家慶の頃の口演記録が残っていると言いますから、大変に古い噺です。登場人物が二人だけというめずらしい噺でもあります。
初代三遊亭遊三がよく語っていたといいます。この遊三という人は、徳川家の御家人で小島弥三兵衛長重という大層な名前で、呑む打つ買うと三拍子揃った遊び人だったそうです。演芸にも没頭、家族縁戚の猛反対を押し切って五明楼玉秀、さらに雀家翫之助という名前で高座に出ていました。
その後、明治維新が起こり上野戦争の時には彰義隊にも参加しますが、はなから戦う気はなく早々に逃げ出します。維新後には高座を離れ、書記から判事補となって函館で暮らしますが、被告の女性と関係を持って有利な判決をしてクビ、東京に戻って高座に復帰するという、そのまま落語になりそうな人生を送っています。
古今亭志ん生~六尺棒
志ん生も多く高座にかけていました。
柳家小さん(四代目)~六尺棒
四代目小さんの貴重な音源です。
この人は、高座が終わって楽屋で前座が出した茶を飲み、湯呑みを置いたところで前に倒れてそのまま死去したといいいます。享年59最。これから円熟味が増していくところで惜しまれましたが、噺家としてはこの上ない最後だったのではないでしょうか。
桂文治~六尺棒
彦六の正蔵と同じ長屋で隣に住んでいた九代目文治 稲荷町の留さんと呼ばれていました。吝嗇家であったこととロセンが馬並みだというのが評判の方でした。
三遊亭園馬 六尺棒
落語 六尺棒 ディスコグラフィ
ここではAmazonで販売されている表題の演目のおすすめCD・DVDを中心に紹介しています。上の見出しをタップするとAudible、MP3、PrimeVideoなども合わせて表示します。
コメント