『お笑い・漫才芸人列伝』
古今東西のお笑い・漫才芸人の貴重な映像・音声を集積。
明治・大正・昭和・平成・令和の数々の芸人を、映像と音声で紹介します。
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「亡き人の恋しきときは鏡をぞ見よ」
松山鏡~桂文楽
鏡というものを知らない人が大半だった時代の話。越後の松山村に”正直正助”と言われる実直な男がおりました。両親が亡くなって十八年の間墓参りを欠かしたことがない親孝行。お上からご褒美をいただくことになり、村役人付き添いで役場へ向かいます。
地頭が「そちの親孝行のことは上(かみ)にも聞こえおり、上より褒美を下し置かれる。衣類がよいか田地田畑がよいか金がよいか、望みの褒美を申せ」と尋ねますと、「子が親に孝行するのは当たり前でございます。着物をもらっても野良仕事にはじゃまになるし、田地田畑は父っつぁまからもらったものだけでも手におえねぇ、この上増えれば小作人を雇わねばなりません。金を持てば働こうという気が出ません、遊んでしまうので毒でございます。」と辞退します。
地頭は、しかし何か望みがあるだろうと聞きますと正助、「死んだ父っつぁまに一目会いたい。」と言います。
覚書
文楽が十八番にしていた一席。黒門町、動いております。親孝行には青緡五貫文(あおざしごかんもん)の褒美がお上から下されるのが通例でした。緡(さし)は藁わらや紙を縒(よ)った細い紐で、穴あき銭に通して両端にこぶを作って銭が散らばらないようにまとめたもので、通常九十六文を一差しとして百文として勘定しました。
お上から下されるものは、紺に染めた麻縄に五貫分(一両一分)の銭を通したもので、青緡五貫文(あおざしごかんもん)と言います。
余談ながら何故96文が100文として勘定されるかについては2・3・4のいずれでも割り切れるので便利だったから。4文は手数料だった。関税だった。昔の人はおおらかで一定枚数があれば100文とみなしてOKだったなど諸説あり、本当のところはわかっていませんが、こういう「九六勘定」は室町時代からの通例で誰も文句は言いいませんでした。
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