『お笑い・漫才芸人列伝』
古今東西のお笑い・漫才芸人の貴重な映像・音声を集積。
明治・大正・昭和・平成・令和の数々の芸人を、映像と音声で紹介します。
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しがねえ恋の情けが仇 お富 ひさしぶりだなァ
発端~お富與三郎 第一夜~五街道雲助
両国横山町の伊勢屋喜兵衛というべっ甲問屋の一人息子与三郎は、横山町の今業平といわれるほどのいい男。娘連中から海苔屋の婆さんまで与三郎を見に伊勢屋に通うほど。両親も与三郎を大切にしましたので我儘放題で育ちました。
春。陽気の良さに与三郎が外へ出かけますと、神田川で旅籠をしている神田屋茂兵衛の息子で幼馴染の茂吉に声をかけられて上野へ桜見物。吉原で馴染みの中万字屋に上りますが茂吉は振られ、朝の明けぬうちから与三郎に帰ろうと言います。
山谷堀から船で両国へ向かいますが、数日来の雨で水かさが増し渦を巻いているところもあり、船頭は大人しく乗っていてくれと言いますが、茂吉は振られた鬱憤と朝から飲んだ酒の勢いもあって船頭につっかかり、もみ合ううちに川に落ちてしまいます。
船頭が飛び込んで探しますが見つかりません。船頭は、吉原には一緒に行ったが帰りは別だということにしなさいと言い、与三郎は茂吉に済まないと思いながら船頭に五両の金を渡して家へ帰ります。
茂吉の家から問い合わせがありこれをのらりくらりとかわしますが、船頭がこの件をネタにたびたび与三郎のもとを訪れて金を強請りに来るようになります。
十一月の半ば、風邪を引いた与三郎が薬研堀の薬湯へつかりに行きますと船頭に出くわします。いつものように博打のためではない、母親や女房子供のために金が要る。百両貸してほしいと頼みます。
お前にはたびたび金を渡し、もう四五十両になっているだろうと断りますと、船頭は番屋へ行って洗いざらい白状する。俺は牢に入っても顔が効くとうそぶきます。
そこへ現れた浪人者の関涼介、お困りの様子、仲立ちをしようと出てまいります。
木更津~お富與三郎 第二夜~五街道雲助
与三郎は事件のほとぼりを冷ますため木更津の叔父、藍屋吉右衛門に預けられることになります。
九月、木更津の祭りに出かけた与三郎、土地の若い者を引き連れた歳の頃二十二・三の美しい女とすれ違い、見送りますと向こうも与三郎を見ております。これが与三郎の生涯の因縁となるお富。江戸一といわれた芸者のお富を、博徒の親分赤間源左衛門が博打で勝った金を全部つぎ込んで妾にし、女房が死んだ後に正妻に迎えて木更津の屋敷住まい。
互いに惹かれる与三郎とお富。源左衛門が各地の賭場へ旅に出かけている間にお富が与三郎に時候の挨拶をと手紙を書き、これがきっかけで手紙のやりとり、そのうち一度逢い二度逢いと逢瀬を重ねます。
二ケ月ぶりに帰って来た源左衛門に、お富は涙を流して怨みごとや愛想を言いながら、心の中は与三郎のこと。旅の疲れを流そうと子分を連れて湯にでかけた源左衛門、子分から「お富に虫がついた」と告げられます。源左衛門は信じませんが、相手は与三郎、あちこちで出会いを重ねていると言い、源左衛門もそういうことなら一分別しなくちゃならねぇと相談をしながら家へ帰り、お富に今から十日ばかり江戸へ行くと告げて出かけます。
お富は早速手紙を遣り、受け取った与三郎は喜んで夕刻から外へ。お富の部屋に忍んだところへ源左衛門が現れます。
玄冶店~お富與三郎 第三夜~五街道雲助
与三郎を捕まえて、簡単には死なせないと急所をはずして三十四ヶ所、顔も体もなます切りにされ、血止めだとその傷を火で焼かれた与三郎と、その惨状を見て木更津の海に身を投げたお富。源左衛門は桐油を敷いた俵に与三郎を押し込み、藍屋吉右衛門のところへと運んで百両の金と引き換えに与三郎を引き渡します。
吉右衛門は医者を呼び手を尽くして看病をし、その甲斐あって与三郎は助かります。これを聞いた親の伊勢屋喜兵衛は与三郎の回復を待って江戸へ呼び戻します。
それから三年、家からもほとんど出ずにおりましたが、たまに外へ出ますと道行く人は化物扱い。町の人に”切られ与三”、”向こう傷の与三”と呼ばれるようになってますます家に閉じこもっております。
今日は両国の花火だと両親が勧めてひさしぶりに外へ。両国で花火を見ても目に止まらず、薬研堀を過ぎますと植木鉢を抱えた一人の女。女もこちらを振り返りますがそのまま行ってしまいます。
お富によく似ていると、その女の後をつける与三郎。玄冶店へと入り、このあたりは囲い者がよく住まいするところだがと思いながら女の家を見つけます。この女が正にお富。木更津の海に身を投げましたが、木更津沖を通っていた和泉屋の大番頭多左衛門に助けられ、その妾となって玄冶店で暮らしていました。
家の様子を伺う与三郎に、通りかかった”蝙蝠の安”と弟分”目玉のトミ”の与太者二人が声をかけ、この家に強請りに入ると聞いて与三郎は自分も一緒に入って、女の話すのを聞いて確かめたいと、三人で中に入ります。安とトミが無心をしますが取り合わないお富。与三郎が進み出て頬かむりを取り、「俺の顔を見忘れたか。」
“しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から、めぐる月日も三年越し、江戸の親には勘当受け、拠所なく鎌倉の、谷七郷は食い詰めても、面へ受けたる看板の、疵が勿怪の幸いに、切られ与三と異名を取り、押借り強請りも習おうより、慣れた時代の源氏店、そのしらばけか黒塀に、格子造りの囲いもの、死んだと思ったお富とは、お釈迦様でも気がつくめえ。”
お富與三郎 第四夜 稲荷堀~五街道雲助
与三郎は家に願って勘当となり、玄冶店の家でお富と暮らしはじめます。お富の旦那であった多左衛門はごたごたを恐れて手を引き、家もそのまま与三郎とお富のものになります。しかし、生活の糧がありませんので家のものを売って暮らす毎日。いよいよ食い詰めたところへ安とトミが来て、家を博打場に貸し出してはどうかと誘い、二人はこれを承知します。
客のうちで奥州屋藤八という鉄物問屋の主人がお富に惚れ込み、毎日のように賭場に通ってくる。食事に誘い金を渡すようになる。お富は与三郎をいとこだと言い、与三郎もうまく立ち回ります。
ある日、お富が湯に出かけたところへ藤八がやってきます。与三郎は戸棚へ隠れて様子を伺います。そこへやってきた目玉のトミは藤八に、お富を囲い者にしているようだがやめたほうがよいと言って三両の金をもらって、お富と与三郎の身の上や、お富に手を出した男に与三郎が強請りをかけているなどの話をします。
お富が帰り、藤八はお富に別れを告げて帰った後、与三郎は包丁を取り出して外へ飛び出して稲荷堀(とうかぼり)で目玉のトミを刺し殺します。
お富與三郎 第五夜 茣蓙松~五街道雲助
目玉のトミに止めをさして、懐から三両の金を取り大川へ放り込んで帰り道、殺しの現場を見ていた蝙蝠の安にその三両をとられてしまいます。蝙蝠の安にたびたび強請られるようになった二人は玄冶店の家を売り払い、元柳橋の黒板塀に見越しの松のある小粋な家に居を移します。
ある夏の夕方、軒先で品の良い老人が雨やどりをしているを見て、お富は与三郎を隠し、老人を中へ入れて二階へ上げ、雷避けに吊った蚊帳に二人で入って差しつ差されつ酒を飲み始めます。近くで雷が落ち、お富が老人の首にしがみつく、老人は抱きとめて思わず手をお富の胸へ。そこへ包丁を持った与三郎が飛び込みます。
五十両拝借の証文を書かされ、手持ちの八両二分を内金に取られた老人、五十、百の金はなんとでもなるが後々強請られてはかなわないと、伊之助という男を頼んで「金を持って行って後腐れの無いようにしてほしい。」と頼みます。
お富與三郎 第六夜 島抜け~五街道雲助
たまたま家を訪ねた小間物屋に、伊之助が自分を騙して四十八両を手にしたことを聞いた与三郎とお富は伊之助の家に乗り込みます。ここでは埒が明かないと老人の店へ行きますが、ここで定廻りの役人に取り押さえられて、与三郎は佐渡へ遠島となります。
佐渡の極寒の中、木綿の着物一枚に貧しい食事で金掘りで出る土砂や水を運ぶ作業。非番の日、島から海を見ながら、来年の冬には生きてはいないだろう、死ぬ前に一度でいいからお富に逢いたいとつぶやきます。
雨の強い夜、ついに与三郎は島抜けを決意して雨の中を外へ。桟橋の下まで来ますと仲間の久次と坊主の鉄。三人で先に進みますとたくさんの松明が見えて自分たちを探している様子。命数が尽きたかと諦めかけますが、久次は縄を持ってついてこいと岩場を伝って獣道から崖の上へ。
先日、港で丸太の荷が流されたと聞いた。俺の推量じゃ丸太はこの下に流れ着いている。丸太があれば筏に組んで海へ、なければ三人揃ってのたれ死にだ。”南無三!” と三人は崖から下へ・・
お富與三郎 与話情浮名横櫛(島抜け)~金原亭馬生
与三郎の死
島抜けをした与三郎は江戸に戻ってきますが捕まれば磔獄門。着るものもぼろぼろで髭も伸び放題、乞食のようになって町をさまよいますが、うかつな所へは近づけません。横山町の伊勢屋の前に来ますと線香がたっている。叔父を見つけて声をかけますとお前が島抜けをしたと聞いた父親が急に体を悪くして亡くなったのだと告げます。
お富のことを聞きますと、品川の人足頭の女房か妾かになっていると聞くが、行ってはならない、小粒を落としておくから後で拾って遠くへ逃げろと諭されます。
与三郎は目だたないように頬かぶりをして品川へ出てまいります。後ろからお富の声。小声で「ふりむかないで。後をついてきて」と言われるままに家に入り、酒をもらってお富の体をまさぐりながら寝てしまいます。
お富は変わり果てた与三郎の姿に涙を流し、「品川から抜け出られるわけはない。もうお前をどこへも行かせない、これ以上辛い目に遭わせないよ」と匕首で与三郎の胸を刺します。与三郎の死に顔はかすかな笑顔を浮かべていたと申します。
講談 お富与三郎 あらすじ全26回 一龍斎貞寿
一話3分~5分、26回に渡って全話のあらすじを口演。
覚書
長い噺で、音源は金原亭馬生のみ流通しています。
長唄の四代目芳村伊三郎が木更津で若い頃に体験した実話をもとにしたもので、講談、舞台化されました。
嘉永6年、芝居『与話情浮名の横ぐし』の評判がよいことから増補して『与話情浮名横櫛』。一日がかりの芝居にして八代目市川團十郎が与三郎を演じて大当たりを取ります。その後、明治末からは十五代目市村羽左衛門の与三郎、六代目尾上梅幸のお富で大正、昭和の始め頃まで大評判。
戦後は十一代目市川團十郎の与三郎と七代目尾上梅幸のお富、十五代目片岡仁左衛門の与三郎と五代目坂東玉三郎のお富と、当代美形が演じる歌舞伎の代表格として定着します。
落語では金原亭馬生、後に五街道雲助、隅田川馬石が通し口演、講談では神田翠月、神田紅、一龍斎貞寿などの女流講談師が精力的な口演を行っています。
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