素人相撲~古今亭志ん生






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素人相撲~古今亭志ん生

夏になりますと町の連中が集まって素人相撲をやります。飛び入りも自由でいろいろな人がやってきます。中入り前に東から飛び入りしてきたのが身の丈七尺に近いような大男。対戦相手を探しますが、鍛冶屋の関取は相手を見て下っ腹が痛いと言う、建具屋の関取は急に腰の骨がズキズキする、大工の関取は親の遺言で大きな飛び入りの時には出られないと断ります。

そこへ出て来たのが、子供のような小さい飛び入り「子供は昼間だ。」と言いますと「こう見えても大人だ、湯銭は大人で払っている」皆心配しますが本人はぜひ取りたいと言って聞きません。

覚書

上方の『大丸相撲』を東京に移して『素人相撲』。『大丸相撲』のサゲは「あれは大丸屋の手代だ、絶対負けない」というもので、値引きをしない百貨店を揶揄したものでした。

東京の『素人相撲』では「あれは勧工場(かんこうば)の商人だ」「それなら負けないわけだ」とサゲていました。勧工場は明治期に多くの商店が一つの建物の中に商品を並べて正札販売した百貨店の前身のようなもので、”負ける=割引”をしなかった。昭和の時代でも通じなくなっていたので、志ん生は「押しが利いたね」「利くはずだ、漬け物屋の伜だから」とサゲていました。

ちなみに勧工場は、産業の振興を目的とした商業施設で、1877年に開かれた勧業博覧会で売れ残った品物を展示販売するために見本市として開催されたことに始まり、1880年頃には東京、大阪、名古屋にも広まりましたが、明治末頃からの百貨店の台頭とともに消滅していきました。

落語 素人相撲・ 大丸相撲 ディスコグラフィ

古今亭志ん生
CD

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