病院日誌~鈴々舎馬風






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病院日誌~四代目 鈴々舎馬風

しばらくでした。こんばんは。別に変わりなかったか?でもみんな元気でいいなぁ、馬風はもうすっかり病人になって、ねぇ、病気になって3年目だ。

ちょうど私がひっくり返った時は文化放送。ここへ来ようと思って支度をする途端にひっくり返った。だから文化放送には恨みがある。

文化放送には大勢兄弟分がいるから、ここでもって第一声を上げたいと思って、3年ぶりだよ。この舞台へ上がったのは。ねぇ。

だから本当に、生きていりゃこそまた会えらぁ。

よくまぁ生きていてくれたなぁ、こっちも生きてるよ。
ただ、今、歯が無ぇからどうも具合が悪いんだしゃべるのに。
歯がもうじきねぇ、太ってくるからいいけど、すっかり顎が痩せた。だから入れ歯が合わないんだ。だから「はなしか」だ、今。
ねぇ、しょうがねぇもんだよ。

それで、私は放送で一遍、全国のファンにお礼を言いてぇと思ったが、ファンってものはありがてぇねぇ。自分でもわからなかったよ。

病院に入ってる間からからなにから、そりゃもう、うんと手紙が来るんだ。全国の手紙をくれた皆様、馬風はまた元気になって悪口を言い始めるからどうもありがとよ。手紙だけじゃなくってなるったけ金目のものを送ってくれよ。この病人は欲張りだね。

福島県の洋裁店のある娘なんだ、二十歳、うれしいじゃないか、
「馬風さんや、私の好きな馬風さん、ちっともラジオにもテレビにも出ないが、あなたはご丈夫なんですかどうなんだか返事を早くください」と言われた時には本当に悔しかったね。今、右手が効かない。

右の手はやっとこれだけだ。でも左があるからいいや。なんでもねぇやこんなもの。

だから、全国にも僕みたいに病人がうんといるけど、改めて馬風は私の仲間に言うよ。

「ねぇ、中気(中風)でも驚くんじゃないよ、治るよ、きっと治るから、治ろうと思う気力があれば、断固として治るよ。だから元気でやってくれよ。いいかい。」

一番いい養生法は、飯を食うんじゃねぇよ。あなたがたもヘラヘラしてねぇでね、メシを食うのやめなよ。悪いことは言わねぇから。

あんまり日本人はコメを食いすぎるからこういうことになるんだよ。

ねぇ、現に戦時中にあたくしが小笠原島へ行った。小笠原は空襲を受けた。だから危ねぇからってんで八丈島へ寄ったんだ。八丈に船は止まっていらんねぇ。それだから八丈の周りをぐるぐる回っていたら、名の知れない島があった。

「そこに上がりてぇや」って言ったら、「まぁ遊んでいらっしゃい」ってんで上がったんだ。

その名の知らない島で、第一番に会ったおじいさんが、百八つだってんだ。
除夜の鐘みたいな爺いがきやがった。百八だってんだ。

それで、「よく東京の芸人さん来たな。今、茶を入れるから、倅が来るから、今呼ぶから待っててくれ」ってんで、その来た倅ってのが八十三だよ。倅が八十三だ。

そいで、どうしてこの島でお前さんは生きてんだと聞いたら、うめぇこと言っよ。「生きたかないけど、うっちゃっといたら生きた」

何を食ってんだと聞いたら、一番いいのは「海藻を食ってる」。
米が出来ない。あの島は。自給自足だ。魚類を食って海藻を食って、あとは粟、稗みてぇなものを食ってる。

それでこれだけ生きるんだから、この島にゃ糖尿病なんざは一人もねぇと言う。いいじゃねぇか。

だからいかに米ばかり食ってることが良くねぇかってことがわかる。だから本当にね、いいかい、今からでも遅くねぇよ。僕がいい手本だよ。あのたくましい鬼みてえな馬風がひっくり返えんだから、いいかい米食うのやめとくれよ、悪いこと言わねぇから。そいで、一日も長くもってくれよほんとに。ねぇ。

こっちは長ぇ間病院入ってて、思い出してもいやだねぇ。頼むからいいかい、あなたがた、病院なんてとこは、あんまりいいトコじゃねぇよ、入んねぇほうがいいよ。

面白くもなんともねぇや。第一、病院入ってるやつは残らず病人だよ。
これ面白いわけはねぇよ。

ねぇ、つまらねえもんだよ、大きな声出しゃ怒りゃぁがるし。日本の病院はね、これは悪口でなくはっきり言うよ、医者と看護婦を中心に病院があるんだ。

外国の病院はね、いいかい、病人が中心で病院があるんだ。それだけの違いだよ。

だから看護婦でもなんでも、そりゃナイチンゲール章をもらった偉い看護婦さんもあるけど、そりゃ中には若けぇ野郎なんざ、いやにツンツンしやがって、ほんとだよ「患者なんぞ」というような顔をしてすましてやがる。

そいで、苗字を呼ばなくちゃ返事をしやがんない。第一、女の子ってものはね、苗字を呼ぶもんじゃないよ。お花ちゃんとか、おきんちゃんとかいうもんだよ。

長谷川さん、中村さん、なんて電報じゃねぇや。面白くもなんともねぇ。
だから僕はね、看護婦の苗字をいちいち覚えていらんねぇから、「ねぇちゃんや」って呼んだら、怒りやがんの。「おでん屋じゃねぇ」って。

「ねぇちゃん」って呼んじゃいけねぇってやがる。何を言ってやんでぇほんとに。

だから、ねぇ、全国の看護婦さんよ、いいかい、「ねぇちゃんよ」って言ったら返事くらいしてやっとくれよ、悪い気持ちで言ってんじゃねぇんだから。
ほんとのこと言やぁ、ねぇ、それだけ親しみをを持って呼ぶんだから。

病人でもこれくらい口が悪いんだから、安心してくれよ。
今、口の悪い悪口を言うことは、ネタぁ山ほどあるけどね、思うように口が回んねぇから喋んねぇだけさ。

だけども、病院に入ってる間、考えたね。どうして俺が中気になったろう、俺ばかり中気になっちゃつまんねぇ。

仲間が大勢いるが、どうして俺ばかり中気になったろうと思って悲しんでいたよ。そうしたらば仲間ができたよ。志ん生が中気で、ひっくるけぇったって、そのうれしさ!

なんだよ、志ん生は怒ってもいいよ。あれは僕の兄弟子だもの。野郎、中気のほうじゃ俺より後輩だ。自慢じゃねぇけど、中気じゃこっちは大幹部だ。

ねぇ、だから志ん生もいろんなこと兄弟子だから教えやがったよ。
稽古に行くてぇとね、噺の稽古はいいからお前、俺の言うこと聞けよ、明日っからお足を持ってこいって言いやがる。

座布団出しやがって、コイコイ教えやがる。嫌な兄弟子だよありぁ。
とんでもねぇ兄貴だよ。噺家ってものはそういうふうにおもしれぇもんなんだ。ねぇ。

医者がそうだ。医者がまた、院長さんが回診だと。一週に一回だってやがる。毎日回ったっていいんだよ。いやに恩にかけるな。一週に一回きやがる。

そいでもってね、看護婦と他の若い医者を大勢つれてきやがる。
それでビゲはやしてて、ヒゲがありゃいいってもんじゃねぇや。

僕が病院へ行って一番悔しかったのは、入院してから一週間くらい経って院長がね、
「馬風さんっていうのはあんた?」
「そうです」
「それじゃあね、”らりるれろ”って言ってごらん」
そういうことを言いやがる。”らりるれろ”って言えっていいやがる。

「らりるれろ」
「おぉ言えるなぁ」
あったりめぇだい! 幼稚園じゃねぇやい。

「それじゃあ、”ぱぴぷぺぽ”って言ってごらん」
「ぱぴぷぺぽ」
「あぁ言えるね、噺家ってものは偉いもんだ」
そんなものは言えるよ、くだらねぇこと言いやがる。試してやがる人を。

「それじゃあ、先生、今度は俺が言うこと言ってごらん」
「あんたの言うことくらい言えるよ」
「きっと言えるね、そう、それじゃぁ言うよ。
 ”猫の子の 子猫この猫この子猫 この子の猫の この猫の子”
 言ってごらん」
「そんなことは言えない」ってやがる。ざまぁ見やがれ。
医者が言えねぇことをこっちは言えるんだよ、ほんとに。ねぇ。

そうしている間に、こうやってりゃあ、まあまぁ全快に近くなって、またこれを機会に舞台へ返り咲こうと思う。

どうか皆様、また悪口を言うから、待っていてくれよ。
それじゃ今日はこれで終わり。どうもありがとう。

覚書

1960年(昭和35年)に脳溢血で倒れ(ヒロポンが原因と言われています。当時は合法で薬局で手に入りました)、3年後の1963年5月に復帰を果たした時の高座です。あまりにおもしろいので全文を口述筆記しました。

入院中の体験をもとに、日本の病院を風刺した傑作として知られます。

病院でのことや志ん生の話題など、文章で読むとトゲのある言い回しですが、実際に音源を聞くと大笑いしながら話していて、罪のない人だったのだなぁと改めて思います。

その後、「馬風も出るたンびによくなる。えぇ?、うれしいじゃねえか。お客様は災難だけどな。もうすぐよくなるから待ってろよ。本当に、じきに治ってやるからな」と話していましたが、1963年12月15日、浅草北松山町の自宅で荷物を持ち上げようとして転倒したことから59歳で逝去します。

四代目のものは現在流通していません。こういうのはデジタル音源だけでも流通させてほしいです。九代目馬風のCDがありましたので雰囲気だけでもどうぞ。

落語 病院日誌 ディスコグラフィ

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鈴々舎馬風
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