幸助餅~林家染丸・林家菊丸【動画】






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藤山寛美を思い出す人情噺

幸助餅~林家染丸(四代目)【動画】

大黒屋孝介の凋落 妹のお袖身売りの場

大阪新町の廓北門。門前の湯豆腐屋「夜明け」の店先では、明日から開かれる大阪相撲の話でもちきりです。通りかかった大阪屈指の大店 堺屋吉兵衛を住吉屋の女将 お松が出迎えに出て「花魁 千歳太夫がお待ちかね」だと言います。千歳太夫が禿や新造を従えて吉兵衛の手を取って中へ入ります。

この吉兵衛の様子を見ていた大黒屋幸介。孝介を探していた遊郭 三ツ扇屋の女将と帳場の平吉に「過去の自分を見ているようだ」と話します。幸介は長堀の大きな餅米問屋を雷五郎吉という相撲取りに入れ込んで潰してしまい、今は裏長屋暮らし。妹のお袖が三ツ扇屋に身を売って商売をやり直せと拵えた三十両の金を受取りにきていました。

孝介と雷五郎吉

女将は「相撲の櫓太鼓は悪魔の声と思って働きなはれ」と言い、幸介も「心を入れ替えて商売をやり直す」と誓いますが、帳場の平吉も雷関が好きだと言うと幸介は喜び、雷関の話をしだすと止まらない。

そこへ二年半ぶりに江戸から戻った雷五郎吉(いかづちごろきち)が二人の弟子を従えてやってきます。幸介を見つけて「長堀の店に行ったが店は無く、心配して探していた、私は江戸で大関になりました。旦那様にお逢いするのを楽しみに帰って参りました」と再会を喜びます。

幸介、最初は逃げようとしますが大関になったと聞いて喜び、「飯をごちそうする」と言って湯豆腐屋の店主を呼び、店主に一両、祝儀に一両と渡し、雷関の弟子二人にも二両ずつを渡し、雷に残りの金をそっくり渡してしまいます。

孝介の後悔 雷五郎吉との決別

雷が店に入ったあと、幸介は大事な金をすべて渡してしまったことに改めて気づき、大変なことをしてしまったと後悔しますが、店に入って祝儀を返せと言うわけにもいかず、途方に暮れます。

幸介の叔父が通りかかり「妹のお袖が三ツ扇屋に入って三十両の金を都合したと聞いた、大事に懐に入れて早く帰ろう」と言いますが、幸介は「お袖が作ってくれた金を雷関にやってしまった、雷が旦那のおかげで大関になれたと、幸介の手をとり涙を浮かべて言ったことで舞い上がってしまい、思わず金を出してしまった」のだと言います。

叔父は雷はどこにいるかと聞き「金を返してもらおう」と言いますが幸介は「今更返せとは言えない」と断ります。これを暖簾の影から聞いていた雷五郎吉「話は聞いていた」と店から出てきます。弟子の二人は金を返しますが、雷五郎吉は「びた一文も金は返さない」と言います。

「相撲と言えども芸人家業、物を頂戴すればこそ、腹の立つこと、無理を言われても涙を飲んで頭を下げて貰った祝儀。いちいち返していたのでは下げた頭が承知をしません。どうせ散った桜花、元の梢に戻らぬ例え。気の毒ながらきっぱりお断りいたしますわい」と突っぱねます。

幸介驚いて「その言い様は何だ! お前の相撲、お前の心に惚れて贔屓にしていたのに」と言いますが、雷は「我が身の見えん意気地なし。道で会っても贔屓と言ってくださるな。儂らの人気に関わりますわい。負け犬の遠吠えなど聞きたくもござんせん」

あまりの言いいように叔父が飛びかかるのを軽く躱した雷五郎吉。よくも叔父に手をかけたなと飛びかかる幸介を突き飛ばし、二人は悔し涙に暮れます。

孝介餅の繁盛 二年目の祝い

三ツ扇屋の女将が、もう三十両を貸してくれて、行商の餅屋から夜も日も働き続けて二年。借金も返して妹のお袖も戻り、大黒屋の暖簾を掲げて店を開き、今や『幸助餅』は大阪の名物と言われています。

客は引きも切らず、奉公人達も昼飯を食べる暇のないほど忙しく立ち働く中、新町からは二年の祝いにと酒や祝の品が寄せられ「新町中の祝い餅は全て大黒屋に任せる」また大店から「出入りをしてほしい」という言付けをもらいます。

外回りから帰って来た幸介、女房にまた四軒のお取引先が新しくできたと話し、おかみも新町の件を話して、もう百軒からの得意先になったと喜び合います。

相撲への嫌悪

遠くから聞こえてきた櫓太鼓の音。幸介は思わず耳を立てますが、”相撲の太鼓を聞いたら悪魔の声と思え。くわばらくわばらと独り言”。

そこへ町内の世話役が来て「天王寺さんの改築が終わり勧進相撲が開かれるので寄付を願いたい」と言います。今度の相撲は雷関も来てえらい人気、皆楽しみにしていると話しますが、幸介は「他のことなら良いが相撲、ましてや恩知らずの人でなしの雷五郎吉と聞いてはびた一文も出せない」と言い、世話役は怒って帰ってしまいます。

餅を買いに来た雷五郎吉

入れ替わりに店に入ってきたのが雷五郎吉。応対に出た幸介を見て「これは大黒屋さん、お久しぶりでございます」と挨拶しますが、幸介は「儂は知らん、あんたみたいな相撲は知らん。昔贔屓にしたものもあったが悪すぎた。相撲と聞いたら身の毛がよだつ」と言い放ちます。

雷は「お前は餅屋、儂は客だ。小餅を一つ売れ」と言い、幸介は怒りに身を震わせながら「この餅はワシと女房と妹が夜も寝ずに働いて作った餅。どれほどの苦労があったか、旨いかまずいか よう味おうて食いさらせ」

雷五郎吉の真意

雷は餅の代金はいくらかと聞き、幸介はいらないと突っぱねる。しかし雷は「贔屓でもない者に物をもらうわけにはいかない、そっちが商人の冥利ならこちらにも相撲の冥利がある。これで売ってくださりませ」と言って三十両の金を差し出します。

「新町の門前でいただきました三十両、お返しに参りました。旦那様、よう辛抱なされました」と幸介の前に土下座をします。

幸介は、「それがお前の芸人根性というやつか。店がうまくいっているようなのでその金を渡しておけば、また何倍にもなって返ってくるとの算段か」と金を取って雷に投げつけようとします。

その時「その金を投げたらバチが当たります!」との声。見ると三ツ扇屋の女将。

「雷関は」と言いかける女将を止めようとする雷関。しかし女将は「言わせてくれ」と頼みます。二年前、後から貸した三十両は雷関から出たもの。雷関は「その場で金を返しては旦那さまは本場所でまた何をするかわからないので心ならずも冷たい仕打ちをした、女将からの金だと言って渡してくれ」と、大きな体を波打たせ、泣いて幸介に詫びていた。それだけではない、百軒からの得意先は、雷五郎吉がご贔屓衆に「幸助餅をよろしくお願いします」と一軒一軒頭を下げて回ったものと話します。

幸介、「なんで知らないところから注文が来るのかと思っていたが、お前が注文を取っていたか。関取やのうて注文取りやがな」と笑い泣き。

覚書

この『幸助餅』は、日本の近代喜劇の第一人者、曾我廼家五郎(脚本家としての名前 一堺漁人)の代表作のひとつで、松竹新喜劇で藤山寛美が演じて好評を得ました。上記の筋は藤山寛美の舞台をもとに書いています。

東京では浅草・吉原に舞台を移して『幸助餅』または『夫婦餅』の題で、林家正雀などが掛けているようです。

1970年代、80年代と、藤山寛美の松竹新喜劇は最盛期を迎えていました。”アホ役”として名を馳せましたが、真面目な紳士の役も多く、この話もその一つです。大阪の”アホ”は、東京の愛すべき”与太郎”と同じ意味合いを持ちますが、そういう印象を関西の人間に与えたのも藤山寛美であったかと思います。

藤山寛美は、豪遊や一億円を超える借金での自己破産で、松竹新喜劇からクビを言い渡されたこともありましたが人情に厚く、アホ役のために悪くもない前歯を抜く。舞台で客に今日の演目を選ばせるリクエスト芝居。20年以上(244ヶ月)に渡る無休公演など、芝居に生涯を捧げた役者でした。

寛美以降は娘の藤山直美が時折新喜劇に客演した時に観るくらいになりましたが、孫の藤山扇治郎が新喜劇の舞台や、映画『家族はつらいよ2』に出演するなどで頭角を現してきているとのこと。

吉本新喜劇がギャグや人の容姿を揶揄することで笑いをとっていたのに比べ、しんきくさい、説教臭いとも言われた松竹新喜劇は、いま思えば人情噺そのものでした。もっと多くの話が落語化されればよいのになと思っています。

幸助餅 林家菊丸

松竹新喜劇 幸助餅


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