苫ヶ島(とまがしま)~笑福亭松鶴・桂文我






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出たな物の怪

苫ヶ島~笑福亭松鶴

紀州公のご帰還

紀州の殿様 紀伊大納言頼宣が長らくの江戸詰めから久し振りに紀州の方へお帰りになります。大名行列が和歌山へと近付いてまいりまして、いよいよ本日お国入りと聞き、和歌山の本町筋では領民一同で町並みを整えて、お殿さまのお帰りを一目見ようと沿道に筵を敷いてお通りを待ち。警護の役人は紋付き袴に身を固めて町人が粗相をしないように見張っております。

一人の男が人をかきわけて沿道の前へ進もうとしているのを役人が見咎めて「出てはいかん 何を急いでおる」「子供が生まれかかってますので」という男。では仕方がないと通してやりますと、行列が一番よく見えるところへ座ってしまいます。

それを見ていた男。うまくやったな。俺もその手で前にいこうと同じように役人に「子供が生まれる」と言いますが、役人に「誰が産むのか」と聞かれて、六歳の姪、六十三の母親と答え「たわけ者」と鼻を叩かれて鼻血が出てしまいます。鼻血が止まらない時は首の後ろの毛を三本抜くと治ると言われて、抜いてもらうと不思議に鼻血は止まって一安心。

あちこちで押し合いへし合い、喧嘩が始まったりと大騒ぎになっておりますが、そのうち八咫烏と言われる先触れがお通りになります。先触れのあと、十人のお先払いが「下に 下に」。続いて鉄砲組二十人、弓組二十人の漆匣(しっこう)、金紋先箱、紀州公自慢の長さ三間の槍を回しながら来る大鳥毛、小鳥毛、そのあと殿様の駕籠がお通りになります。

苫が島へ

城へ戻った殿様。集まった家中の挨拶を受けたあと、皆に「予の領分に『苫が島』なる島があると聞いたが、予は存じおらなんだ。存じおるものは申し上げよ」とお聞きになります。家臣の一人が「ご城下より西南に当たり東西二里、南北一里半の島にござりまして、西は阿波の海、東は加太の岬に続く島。昔より人畜寄り付かず禽獣鳥類の棲家になっておる島にござりまする」と答えます。

殿様は「では近日、視察も兼ねてその島で狩りを行おう」と言いますと、家臣は「昔より人の入ることが禁じられており、また、あの島には物怪が住むと言われております。何卒おとどまりくださいますように」と言いますが、殿は「禽獣鳥類を射抜いて何の仏罰を被ろうや」と一喝、皆仕方なくお供をして苫が島へ出かけることになります。

覚書

このあと人間の三倍もあろうかという大鷲と二抱えもあろうかという大蛇の戦闘、続いて豪傑 牧野弥兵衛との戦いがくり広げられるという怪獣映画のような展開になります。

舞台となった苫が島は和歌山と淡路島の間、友ヶ島群島の「沖ノ島」のことで、この島の「探蛇池」には、淡路島や加太の娘を呑んだり船を襲ったりしていた大蛇を役行者がこの池に鎮め、この池で笛を吹くことを固く禁じましたが、和歌山城で家康の十男 主徳川頼宣が狩猟をした際に禁を破って笛を吹かせたところ、大蛇が復活、頼宣が志津の長刀を投げつけて退治したという大蛇伝説があります。

和歌山には安珍清姫の『道成寺』をはじめ日高郡、那賀郡、有田郡などにも大蛇・龍蛇の伝説が数多くあり、あながちおとぎ話ばかりでもなさそうな話もあります。

大蛇と言えば、昭和初期には兵庫県光明山で胴回り30cm、長さ4mという大蛇が数人に目撃されたというものや、1973年には徳島県剣山で胴回り90cm、体長10mという大蛇を草刈りをしていた五人が目撃、ニュースにもなり、大規模な山狩りをして、幅40cmほどの這い跡が見つかったということもありました。

落語 苫ヶ島 ディスコグラフィ

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