粥やろう(かいやろう)~三遊亭圓生





お笑い・漫才芸人列伝NEW!!
古今東西のお笑い・漫才芸人の貴重な映像・音声を集積。
明治・大正・昭和・平成・令和の数々の芸人を、映像と音声で紹介します。



粥やろう(かいやろう)~三遊亭圓生

大阪で流行った国太夫節に、
「一体おまえとこうなったは 並たいていのことかいな
末はどうしてこうしてと たのしんだ甲斐がない」
というのがありますが、
冬になると大家が乞食にお粥をふるまう風習がありました。

「粥(かい)やろう~!」と呼ぶと面桶(めんつう:薄い板材を曲げて底をつけた桶のような器)を持った乞食がぞろぞろと集まります。

その中の一人、もらった粥を急いで飲み、もう一杯、弟の分だと粥をもらって橋の下の家へ帰ります。

覚書

もとは上方落語で、「国太夫節」の別題でも演られました。

国太夫節は、徳川吉宗の頃、享保年間(1716~36)に京都で大流行した浄瑠璃節で、百年以上後の天保(1830~44 徳川家斉、徳川家慶)の頃まで唄わていたといいます。

圓生は、三代目の三遊亭圓馬に教わって持ちネタにしていました。
後年、圓生が大阪でこの噺をかけると、圓馬が「なつかしい噺ですなぁ。もう20年も聞いたことはおまへん」と言ったそうで、本家の大阪ではとうに廃れてしまっていました。

音曲ネタは、浄瑠璃、義太夫などが一般に浸透していた当時はたくさんありましたが、現在は客受けもしないため、この噺を含めほとんどが消滅していしまいました。

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