盃の殿様~三遊亭圓生






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古今東西のお笑い・漫才芸人の貴重な映像・音声を集積。
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吉原全盛の花扇に殿様ご執心

盃の殿様~三遊亭圓生

ある大名。江戸詰の際には毎日登城してはお詰めの場所で座布団も敷けず、お茶も弁当も自分でしなければならない。お国へ帰れば今日は剣術の稽古、今日は馬術の稽古などと決まっていますが「予は剣術は嫌いだ」などとは言えず、そう言う時は「予は病気である」とおっしゃいます。

病気と言った手前、病人らしく暗い部屋にこもっていますが、そういうことが続きますと、本当に気鬱症(きうつしょう)になってしまいます。珍斎と言う、殿様お気に入りのお坊主が気晴らしに唄や三味線、軍団講談、滑稽噺などと勧めますが聞きません。

ある日、花魁を描いた東錦絵『全盛花競六花撰(ぜんせいはなくらべろっかせん)』をご覧に入れ「吉原には絵よりも美しい者がいる」と言う。殿様はご意見番の植村弥十郎を呼び「新吉原町には本当にこの様な美しい者がおるのか」と聞きますと、弥十郎は「あながち偽りではございますまい」

殿様、気晴らしに新吉原町へ傾城を見物に行きたいと言いますが、弥十郎は悪所でございますのでと止めます。殿様「頭が痛い。しかしもう薬は飲まない」と言い出します。困った家来が相談をして見物くらいならばよかろうと三百六十余人を引き連れて吉原へ向かいます。

覚書

花扇花魁 喜多川歌麿

タモリがNHKのブラタモリのロケ中に、吉原で聞いた花扇の実話をもとに笑福亭鶴瓶が小佐田定雄に頼み、長田の妻で落語家のくまざわあかねが新作人情噺『山名屋浦里』を作りました。この鶴瓶の口演を聴いた中村勘九郎が歌舞伎『廓噺山名屋浦里』として酒井宗十郎に中村勘九郎、浦里に中村七之助、2016年8月の東京歌舞伎座公演で上演して話題になりました。

江戸後期、十一代徳川家斉の頃に吉原随一の花魁と言われ、喜多川歌麿の『高名美人六家撰』に描かれた扇屋の花扇。圓生の十八番として知られ、圓生以降は柳家喜多八、柳亭市馬などが持ちネタにしています。

ちなみに『高名美人六家撰』は、難波屋おきた、辰巳路考、高島屋おひさ、扇屋花扇、日之出屋後家、富本豊雛の六人を描いたもので、『当時三美人』(寛政三美人)としておきた、豊雛、おひさの三人が描かれたものもあります。一番の人気を集めたのは江戸浅草観音随身門の脇にあった水茶屋の看板娘の難波屋おきた。歌麿は十五点を超える錦絵を描いています。


歌舞伎 廓噺山名屋浦里~中村勘九郎 中村七之助

生真面目で融通のきかない江戸詰の武士 酒井宗十郎。ある日、江戸留守居役同士の寄合で、次回は馴染みの花魁を”江戸妻”としてお披露目する趣向にすると言い出します。堅物の宗十郎を貶めようとする企みで「唄も踊りもできぬ山猿」「馴染みの女を連れてこられなければ主君の恥、不忠者」と言って呑みなおしだと一行は別室へ。

そこへ吉原一と言われた浦里花魁が船で現れ、禿が扇を川へ落としたのを拾おうとした宗十郎と目が合います。おかみに山名屋の浦里と聞いて、ぜひ江戸妻にと訪ねますが、山名屋の主人に断られます。これを聞いていた浦里が宗十郎の意気に感じて引き受けます。

さて寄合当日。一人で現れた宗十郎を同僚達はさんざんになじり、手をついて詫びろと言いますが、そこへ浦里が現れます。

落語 盃の殿様 ディスコグラフィ

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