煙草の火~桂文枝・立川談志・林家正蔵



莨の火(たばこのひ)~桂文枝

住吉神社の鳥居前。通りかかった上品なお年寄りに二人の駕籠舁きが声をかけます。

「南から来たので北のほうへ」と言うので担いで走り出しますが、よく聞けば和泉の佐野から駕籠出て堺まで来たが乗りくたびれて住吉まで歩いてきたという。

ワシのような田舎者でも遊ばしてもらえるお茶屋はないか聞かれ、駕籠屋は北の綿富という一流のお茶屋の女中頭を知っているので案内をしようと言い、年寄りも承知します。

店に入った老人、駕籠屋に一両ほど渡したいがと若い衆に立て替えを頼みます。
喜こんで親に軽い綿の布団を買ってやれると言いますと、さらに二両立替を頼んで、これは親においしいものでも買ってやれと渡します。

見習衆十人に一両ずつで十両、芸姑衆十五人に十五両、幇間衆三十人で三十両。
帳場は、大丈夫か、これきりだぞと言いながら三十両を立て替えます。

さらに奉公人五十人で五十両と言われた帳場さん、これ以上はダメだと断ります。

覚書

次々に金を立て替えておいてくれと言う、どうにも疑わしい老人。
落語なんだから夢の話だったとか、名代の詐欺師であったとか、狐狸だったとかそういうたぐいの噺だろうと思っているとどうも違う感じで話が進みます。

和泉の食(めし)の旦那。和泉の暴れ大尽と称された食野佐太郎(10代目)がモデルとなっています。

食野家(めしのけ)は泉南 泉佐野で菱垣(ひがき)廻船の創始者として知られ、廻船業や大名に金を貸し付ける金融業などで約三十藩に四百万両の資金を用意するなど巨万の富を築いた豪商でした。

幕末に廻船業が下火になり、大名に貸した金が廃藩置県で回収できなかったことなどから一気に没落し、「佐野町場」と言われた浜側一帯、豪邸から立ち並ぶ「いろは四十八蔵」と呼ばれた倉庫群なども現在は見ることができません。

屋敷跡は現在 泉佐野市立第一小学校になり、わずかに井戸や石碑が残るのみとなっています。

林家正蔵が二代目桂三木助に習って東京へ移し、主人公を神田の材木商で財を築き、紀伊国屋文左衛門と競うように豪遊の限りを尽くした奈良屋茂左衛門(奈良茂)に変えて仕上げています。

蛇足ながらこの奈良屋茂左衛門も五代目が吉原中万字屋の名妓玉菊をはじめ、放蕩の限りを尽くしたために家業が衰退し、現在では名前が残るのみとなっています。

煙草の火~立川談志

たばこの火~林家正蔵

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