札所の霊験~三遊亭圓生



女のために人を殺めて

札所の霊験~三遊亭圓生

水司又市(みずしまたいち)

越後高田榊原藩の水司又市は、十二歳の時に両親に死に別れ、お国詰で文武の修行を十分にして、二十八の時、江戸詰を仰せ付けられました。

お国では鬼組と申しまして、お役は下等でありますが武術のできる人が揃っていたという。

越後から江戸へ出てきた又市。見るもの聞くもの珍らしく、非番になると方々を見物致しております。

又市と小増花魁

ちょうど紅葉の時分で、王子の滝の川へ行って瓢箪の酒を飲み、紅葉の枝を折って瓢箪を結わえつけて肩に担いでぶらぶら歩いています。

根津権現へ参詣して、惣門から出てくる廓があり、ここを水司又市が通り掛ると、茶屋から出てきた娼妓と見える女。鬢のほつれ毛が顔へかかり、少しほろ酔いで白粉(おしろい)けのあるところへぽッと桜色がさして美しい。

遊郭 増田屋

又一はしばらく見送って、あのような美人は二人とはいない、実に美しいと思っていると、後から女郎屋の若い衆が声をかけます。

今の女は誰だと聞きますと、手前方 増田屋でお職から二枚目をしている小増(こまし)花魁という。

又市が揚代はどのくらいか聞くと「大抵は五十疋でございますが、小増は売り出し中で、あのお妓さんは十匁で」と若い衆。ともかくお上がりをと勧めます。

料理や酒にいくらかかるか料理の内容は何かと聞き、越後に比べてずいぶん高いと言いながらも、あのくらいの美人を我が物にすると思えば致し方ないと、増田屋へ上がります。

小増に振られ続ける又市

引付座敷で又市は黒木綿の紋付に袴を穿いた形なりで、張り肘をして坐っていますと、おばさんと話をしているうちに小増が来る。

座敷も引けて床になりましたが、小増は宵に顔を見せただけで振られてしまいます。

翌朝。昨夜は小増は来なかったとおばさんに文句を言いますが「生憎お馴染が来て」とあしらわれます。

中一日置いてまた来ましたが、また振られ、また二、三日置いて来たが振られる。
惚れるというものは妙なもので、振られてもしげしげと通いましたが、又市も馬鹿ではない。癇癪を起こして、おばさんにもう来ないと言います。

若い衆の藤助が、小増さんにはこっちで十両あっちで二十両出そうと張り合っているので仕方がないとなだめますと、又市は、ではいくら出せばよいのかと聞き、二十両もあればと藤助が答えると、では金の用意ができたらまた来ると行って帰っていきます。

又市、藤助に乱暴を働く

又市、大事な大小を質入れして金を作り、奉書の紙へ包み、長い水引をかけ、熨斗をつけて『金二十両 小増殿 水司又市』と書いて持って参りまして、小増にやり、機嫌好く飲んでいましたが、その晩も小増は来ない。

顔色を変えて怒る又市、いつもの通り手を叩くことおびただしく、仕方なく藤助が行きますと、飲食の分は払うが、今晩の揚代、ことに小増に遣わした二十金は只今持って来て返せと迫り、言い訳をする藤助の胸ぐらを取って捻じ上げます。

大騒ぎになり、これを小増が聞いて駆けつけ、私は金ずくで自由にならない、田舎侍は嫌いだと二十両を叩きつけて部屋を出ていきます。

又市は後姿を見送って、真青になって「田舎侍が厭だというのは、お前ももとから知っていただろう、不実な奴だ」藤助の腕をねじり上げます。

中根善之進の殺害

大騒ぎになりましたが、ちょうどこの時に遊びに来ていた榊原藩の御留守居役 中根善右衞門の嫡子 善之進という者に店の者が頼み、善之進は水司のいる部屋へ入って一旦は収め、

小増は自分の馴染の女で、廓にも義理人情があり、私が買っている馴染みの遊女だから下役の貴様には出ない。小増の事は諦めろと言います。

小増にも罵倒され、頭に血がのぼった又市は藤助に「上役がお愛しなさる遊女をなぜ己に出した」とさらに締め上げます。

善之進は「まだわからぬか」と手に持っていた扇で又市の月代(さかやき)を突き、又市の額が破れて血が流れます。

又市は残念やるかたなく増田屋を後にしますが、武士の面体へ傷を付けられ、このまま帰れない。たとえ上役でも憎い奴は中根善之進、このままにはしておけんと、七軒町の大正寺という法華寺の前、石置場の影に忍んで中根を待ち、伴の者ともども斬り殺して、中根の持っている金も盗って姿を消します。

小増と藤屋七兵衞

翌日、中根が殺された事を聞いた小増は、自分のために中根に気の毒なことをしたと泣き、見世へも出ずにふせっております。

翌年の春、湯島六丁目藤屋七兵衞という商人、糸紙を卸して手広く商売をしていましたが、子供を二人おいて女房が急に亡くなって塞いでいるのを仲間の者が誘って増田屋へ上がります。

藤屋七兵衞の敵娼(あいかた)に出たのが小増。藤屋七兵衞の歳は三十だが、品が好い男で、中根善之進に少し似ているところから小増もまんざらではなく、七兵衞は馴染みになって通うようになります。

もう年季はあと二年というから、それなら身請しようと云い、大金を出してその翌年の二月、小増は本名の「お梅」に戻って藤屋の家へ入ります。

お梅(小増)と正太郎

『手にとるな やはり野に置け れんげ草』家へ入るとお梅も並の女で、親切に七兵衞の用をしており、九つになる正太郎という男の子と二つになるお継ぎという女の子を可愛がってはいますが、悪戯ざかりの正太郎が「オラんとこのおっ母はすべた女郎だ」などと言い、お梅が正太郎をつねったり叩いたりしますので、正太郎は痣だらけ。

七兵衛の先妻は葛西の小岩井村の百姓文左衞門の娘で、孫の顔が見たいと訪ねてきた母親がこの傷を見て怒り、自分が引き取ると言い出します。

正太郎も不自由な田舎でもよいからお婆さんと一緒に田舎へ行くと言い出して、一緒に小岩井村に帰ってしまいます。

藤屋が火事を起こし麻布から越中高岡へ

翌年、本郷六丁目の藤屋火事と申して、自宅から出火し、土蔵二戸前を消失し、自火のために元の通り建てる事も出来ず、麻布へ越します。

それから九年過ぎまして寛政四年(1792年)の麻布大火でまた蔵が焼け、今度は立ち上がれず、娘のお継を連れて、越中の国 射水郡高岡で萬助という以前の奉公人を頼って大工町片側町(かたかわまち)で、荒物店を出します。

お梅もだんだん貧乏にも慣れ、店の仕事や近くに寺が多いことから和尚の着物を縫ったり、納所部屋の洗濯をしたりして、やっと細い煙を立てております。

宗慈寺の永禅(えいぜん)和尚

高岡へ来てから三年、大工町に宗慈寺という真言宗の和尚 永禅は、歳四十になりますが、檀家の者の受けもよく結構裕福な様子。

大黒(妾)も置かず、仕事は皆お梅に頼んで、七兵衞にも同情して五両を貸してくれます。

乾ききった家計で金を使ってしまい、返せずに言い訳に行くと、もう三両、二両と貸してくれ、もう二十四、五両の借金になっていきます。

お梅は永禅を大事にして、足繁くお寺へ手伝いに行って良く勤めます。

永禅とお梅

九月の節句前、鼠木綿の着物を縫上げて持って行くと、人がおらず、台所から上がって声をかけますと、永禅が上がっておいでと言います。

皆使いに出し、檀家も来ないので一人で一杯やっていた。いくら坊主でも酌は女子が良い。一杯酌をしてくれないかと言います。

一杯飲んでお梅へ、お梅が飲んで和尚へと、そのうち酔いが回ってきますと、永禅が、「儂の顔を忘れたか、もう十三年も前のことじゃからな」と言い出します。

「忘れもしない十三年前、九月の末ごろからお前のところへ通った、儂は水司又市だ」

「中根善之進を斬り殺したあと、頭を剃ってこの宗慈寺へ来て、住職をしてもう九年だが、こうなってから今まで女子はもちろん、生臭い物を食わないのも皆お前ゆえ、人を殺したのもお前ゆえじゃ。」

「七兵衞さんは知るまいが、金を貸すもお前ゆえだ、お前を見て儂は煩悩がおこって出家は遂げられない」とお梅の手を取ります。

お梅は拒みますが、ぐっと引き寄せて、お梅の背中へ手を掛けて膝を突き寄せます。

お梅は嫌と言ったら人を殺すくらいの悪僧、どんな事をするか知れない、どうして切り抜けようかと思いますが、そこへ雨が激しく降り出します。ここのところ本が破けており、少し飛ばして申し上げます。

永禅に寄り添うお梅 七五郎の相談

お梅は、亭主に借財があり、自分も元は泥水に入った女と目をつぶったものの、たびたび行きますと、むこうでも親切にしてくれ、そのうち情にひかされて宗慈寺へ日泊りをするようになり、永禅和尚の法衣を縫い直すと言って、九月から十月の中頃まで泊りきりになります。

家は十二歳になる娘ばかりで、一日も帰って来ないお梅に腹を立てた七兵衞、寺へ来て見ると、二人が小座敷で小鍋などをつついている。

飛び込んでやろうかと思いましたが、この和尚には借金もあり、お梅は身代のためにした事かと思い直して、咳払いをして「ごめんください」と声をかけます。

お梅に、たまには家に帰って来い、昼は家で店番をして夜だけこちらさまへ来れば良いだろうと言いますと、和尚もそれでよいと言います。

鍋を勧められた七兵衞、金沢から大聖寺山中の温泉の方へ商いに行きたいと思うので、仕入れのための金五十両を貸してほしいと頼みます。

七五郎の殺害

永禅は、ゆっくり相談しよう、酒がなければ話も出来ないと、お梅を瞽女町まで買いにやらせます。

お梅が外に出ると、七兵衞はお梅を仕事に上げッ切きりにしても構わないと言い出します。

永禅は、酒がなくなったので腹ごなしをする。と庭へ降りて薪を割り出し、檀家からもらった炭をやろうと言って、七兵衛を近くへ呼び、七兵衞に、お梅と自分におかしな事でもあると疑っているのではないかと聞きます。

「儂も一ケ寺の住職の身、お梅さんと私がおかしいと言われてはそのままには捨て置かれん」と言い争ううち、薪割りで七兵衛の頭を割って殺してしまいます。

お継を追う永禅

死骸を転がして本堂の床下へ突き入れたところへ、七兵衞の娘お継が父親を探して宗慈寺へ入ってきます。

和尚に可愛がられ、勝手を知っていますので、庭へ来て屈み込み、和尚に父母はいないかと聞きます。

女の子はよく頭を横にして下をのぞくようにして話しますが、永禅はこの姿を見て、年はいかぬが怜悧な娘、見たなと思って薪割を振上げて追いかけます。

人を殺そうという剣幕に、怖がるお継は逃げる、後を追い掛ける永禅。門のところまで追い掛けますが、そこへお梅が帰って来ます。

お梅とお継

お梅に、七兵衛と口論になって殺したのをお継に見られた。こうなっては私と一緒に逃げるか嫌だと言えばお前も打ち殺さなければならんと言います。

お梅は、よもやあなたが父親を殺したとは気が付いていないだろうからお継に聞いてみる。何とか助けたいので待ってほしいと頼みます。

お梅は家に帰りましたがお継はいない。ようやく片原町の宗円寺という禅宗寺でお継ぎを見つけて連れて帰ります。

お継は、宗慈寺の和尚様が薪割で自分を殺そうしたと言いますが、お梅は和尚はお酒を飲んでいたので冗談にやったのだ、七兵衛は商売で半年や一年は帰らないと言いますと、お継ぎは素直に承知します。

お梅は不憫に思って膳立をして、やさしくお継に夕飯を食べさせます。

永禅とお梅の密会 荒れていく寺

夜、永禅和尚が忍んで参りますと、お継は驚いて逃げてしまいます。
お梅は、死骸を隠したのは見られていないと言い、その晩からは毎晩、藤屋の家へ永禅和尚が忍んで来ては逢引をいたします。

芯棒が曲るとついている者も皆曲る、真達という弟子坊主が曲り、寺男の庄吉も曲る。旅魚屋の伝次という者がこの寺へ来て、納所部屋で賭博をして真達は少しも知らないのに勧められてやると負ける。

伝次が催促をしますが、真達には金がない。和尚に女犯の件を持ち出せば二十や三十の金は貸すだろう言います。

真達は喜び、藤屋へ出かけて裏口の戸の節穴からそっと覗くと、前に膳を置いて差向いで酒を飲んでいますから、小声でお梅を呼びます。

袈裟文庫を抵当に置くから十両貸してほしいという真達。
「お梅はんの処へ泊っても庄吉には言わない、私の心一つでと言って」十両を持って帰ります。

宗慈寺の手入れ

こんなことでだんだんと博打場が盛んになってくる。かねて二番町の会所小川様から探索が行き届き、突然に手が入ります。

「御用!」という声に驚きましたが、旅魚屋の伝次はそういう事には馴れているから、場銭をさらって本堂へ逃げ出す、真達は庫裏から庭へ飛下りて物置へ入って隠れていましたが、庄吉は本堂の縁の下へ這いこみます。

庄吉は縁の下を奥へ進みますと、先に誰かが逃げ込んでいるからその人の帯へつかまると、捕物の上手な源藏という者に見つかり、庄吉の帯をつかんで「さあ出ろ!」と引き出だします。

庄吉は、自分のつかまえている帯をしっかりとつかんだまま、ずるずると一緒に引きずり出され、見ると顔色変じて血に染まった七兵衞の死骸。

永禅和尚悪事露顕のお話でごさいました。

覚書

「敵討札所の霊験」(かたきうちふだしょのれいげん)は、圓朝が、寛政十一年に、深川元町猿子橋で歳十八のか弱い娘巡礼が侍を相手に仇討ちをした話を年寄りから聞いてまとめたというもので、全六十三段という超長編の人情噺(世話噺)です。

この圓生の口演はほんのサワリに過ぎず、敵討ちのところはでてきませんので「札所の霊験」という題になっています。

このあとの物語

永禅和尚こと水司又市は、お梅と真達を伴って高岡を脱出、真達も殺してしまいます。

飛騨路を逃げ、三河原で真達の親、又九郎のところでしばらく暮らしますが、真達殺しが知れ、又九郎夫婦を殺害して越後川口へ逃げます。

江戸へ戻った又市とお梅、柳田典蔵という侍が旅魚屋の伝次と庄吉の手引で無理に手篭めにしようとしたお山という女を助けてお山と弟の山之助の住む家に逗留することになります。そのうち又市がお山を口説いて拒否されているところをお梅に見つかり、お梅を殺し、後にはお山も殺してしまいます。

一方、七五郎の娘お継は十六歳まで宗円寺に世話になっていましたが、西国巡礼となって仇討ちの旅をし、同じく姉の仇を討つ祈願に巡礼をしていた山之助と出会い、互いの仇が又市と知り、夫婦約束をします。

巡礼が終わって江戸へ戻ったお継と山之助は、お継の祖父母の家で、按摩に身をやつした元侍が仏門に入ってまた還俗している「みずしまたいち」と聞いて夜討ちをかけますが、山之助は返り討ちに遭います。

水司又市ではなく水島太一という人違いだとわかり、さらに事情を聞いた水島太一は、十七年前に失踪した山之助の実の父、白島山平とわかります。

水島太一がお継を養女にして剣術を教え、又市の居所もわかります。水島は一人では無理だとお継に言いますが、又市を見つけたお継は一人で又市と対峙。その時偶然に居合わせた左官の宰取(※さいとり)がお継の危ういところを助けて又市を討ちます。

駆けつけた水島が、宰取に礼を言って藤屋七兵衞の敵討ちだと言いますと、それは親父の名前、お前はお継か、俺はお前の兄の正太郎だと名乗ります。

水島太一こと白島山平ならびにお照は召返し、お継は白島の養女になり、後に養子をもらって白島の名跡を立てます。また左官の正太郎は白島山平の口利きで榊原様へお抱えになり、後に正太郎左官といわれる立派な棟梁となって下谷茅町の横町池端で、つい十一、二年前まで家も残っておりました。

めでたく親の仇を討ちまして家栄えまするという、巡礼敵討の物語はこれが結局でございます。

宰取(※さいとり)・・左官の助手。壁土などをのせて下から左官に差し出す仕事。長い棒の先に板をつけたものを宰取棒(才取り棒)と言い、正太郎はこの宰取棒で又市を殴りつけます。

こちらも合わせてたっぷりどうぞ





コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください