『お笑い・漫才芸人列伝』
古今東西のお笑い・漫才芸人の貴重な映像・音声を集積。
明治・大正・昭和・平成・令和の数々の芸人を、映像と音声で紹介します。
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圓朝作 孝女の敵討ち二編
操競女学校・お里の伝
麹町表三番町にお小納戸役を努めていた永井源助。ある日、永井が剣術の指南をした旧友、讃岐丸亀の京極備中守の家臣 村瀬東馬が永井を訪ね、村瀬の盟友の姪で十六歳のお里をここで奉公させて欲しい、給金は不要、剣術の指南をしてもらいたいと言ってお里を置いて帰ります。
お里は利口でよく働き永井源助夫妻にもかわいがられます。剣術の筋もよく三年を過ぎた時には免許皆伝も目前となります。
元禄十五年十二月十五日。赤穂浪士 大石内蔵助以下四十七士が吉良邸へ討ち入りをして主君の仇を討ったという読み売り(新聞)にお里が涙を流すのを見て、永井源助は人払いをしてお里に事情を聞きます。
お里の父の上役であった岩淵伝内が母に懸想をし、父が不在の折り母を手込めにしようとしたところへ父が帰宅、口論となって伝内は抜き打ちに父を殺害、母は夫の敵と伝内を追って脇差しを投げ、これが左の肩に刺さりましたがそのまま岩淵伝内は逐電。
父は討たれる時に刀の柄に手を付けてもいないのは侍としての志がないと家は取り潰し、その秋に母も病のために亡くなりました。母が臨終の折に「男の子なら仇も討ち、名跡も立ててくれようものを」と言い残したというのを、私は九歳の時に叔母からその話を聞き、女でも一心になれば仇を討てないものでもあるまいと思い、ここで武芸を教えていただいているのも仇を討ちたい一心でございます。
これを聞いた岩淵伝内、それなら教え方が違う。すぐ道場へと、これから熱心に修行をしてお里は翌年の春に免許皆伝となります。岩淵伝内が江戸で旗本屋敷の用人をしていると聞いて、三年をかけて奉公先を七十五軒変えて探し、ようやくそれらしい者の家に入ります。
覚書
頼山陽の著書を圓朝が人情噺として作り上げました。
『お民の伝』『お蝶の伝』『お里の伝』『お婉の伝』という、いずれも貞婦、親孝行の娘を描いたもので、録音として残っているのはお里の伝とお婉の伝の二編のみですが、いずれもカセットでCD化されておらず入手困難です。
速記原本にご興味のある方は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。
お民の伝
松平安芸守家来の一柳源兵衛が江戸詰の出立送別会で、酒癖の悪い余湖弥市兵衛を斬り殺してしまい自分も切腹。源兵衛の妻お民の兄は勝手に再婚を決めてしまいますが、お民はこれを断り、そのために兄は切腹、お民も夫の墓前で自害します。
お蝶の伝
尾州岩槻 永井伊賀守の元家臣、冬原長助の後妻お市に勇次という情夫があり、二人の子供の面倒を見るのが嫌だと幾度も二人を殺そうとしますが失敗、今度は長助の寝込みを襲って殺害します。
長助の死体を縁の下へ隠したところへ客が来て子供殺しを一時断念。自分たちも殺されると知ったお蝶は草履が縁の下へ入ったと言い、勇次が長助の死体が見つかってはまずいから探そうと四つん這いになったところへお蝶がその脇腹を刺し、逃げるお市を追いかけて弟と共に仇討をします。
孝女おゑんの伝
出羽庄内の上杉弾正の家中、林主殿は曲がった事を嫌うあまり屋敷を出され、江戸深川で医者を始めて名も林玄丹と改めます。この林玄丹には十七歳の美しい長女 お婉(おゑん)と八歳になる次女 お鶴の二人娘がありました。
京橋八丁堀の大名大久保主膳が病になり、お抱えの医者出入りの医者が手を尽くしますが回復せず、町医を探して玄丹が呼ばれます。玄丹の治療で主膳は回復し、米五十俵、金五十両の褒美をいただいてお抱え医となり、これが町中の評判となります。
年末のある日、下男の市助が表を掃除しておりますと、赤ん坊の金次、薬研の安というごろつきが評判を聞いてタカリに来ます。市助は玄丹に告げて二百文を渡しますが二人は承知しません。玄丹が表へ出て話をしますが聞き入れず、二人は手を出しますが文武両道に秀でた玄丹には敵わず「憶えていろ」と逃げ出します。
翌年の正月四日、赤ん坊の金次と薬研の安は、仲間二人を誘って蔵前の伊勢四郎の使いを装い、「娘が急病になったので見舞いを願いたい」と玄丹と市助を外へ出します。家に忍び込んだ四人、玄丹が大久保主膳から頂いた米と金を盗り、お婉をなぐさんでいこうと相談をしているのをお婉が聞いておりました。
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