御家安とその妹(鶴殺疾刃庖刀・つるごろしねたばのほうちょう)~古今亭志ん生



極道者の御家安と一顧傾城の妹お春の顛末

御家安とその妹~古今亭志ん生

前編(上)

発端 氏勝の陣笠

徳川直参で十万石の大名 東城左近太夫氏勝。歳三十四で文武両道に達して和歌の道に長けています。家来からも慕われ、奥方も大事にする行いのよい人。

親戚に呼ばれて家来を連れて大坂へ来た時、道頓堀から日本橋に向かう途中でかぶっていた笠を風に飛ばされ道頓堀の川に落としてしまいます。

父の形見の陣笠で、なんとか拾いたいと言いますが川の流れが早く、どんどんと流されていきます。

船からそれを拾い上げたのが歳十九頃の器量の良い美人。船頭に早く桟橋につけてくれと言いますが、流れが早くなかなか岸に寄りません。女は人間業と思えないような身軽さで船から岸に飛び移って陣笠を渡し、殿に会釈をしてそのまま去ってしまいます。

殿は、馬廻り役の家来 高橋に「今の女の名前と所を聞いて参れ」と命じて、女の後を追わせます。

追いついた高橋が、殿が改めて礼をしたいからと名前と住んでいるところを尋ねますが、女は江戸から来ている者でたまたま船の舳先にいたから拾っただけ。お礼はいらないと立ち去ります。

馬廻り役 高橋と春江

殿は宿に戻りましたが女のことが気になって夜も寝られない。翌朝、再び高橋に金に糸目をつけず、草を分けても探し出せと命じ、もし見つかれば側に置きたいと言います。

命じられた高橋は、素人でもなく玄人でもないと当たりをつけ、大坂で一番の割烹店で大勢の芸者を呼び、江戸から来ている女で十九位の美女の心当たりを聞きますと、踊りの師匠で東春江ということが分かり、帳場に頼んで座敷に呼び出します。

座敷に入ってきた春江に昨日の礼を言い、殿からどうしても探せと言われて探していた。話したい事があると人払いをして、お前さんにもしその心があるのなら、と前置きして殿様の側女にならないかと言います。

春江の兄 御家安

春江は、私のようなものにありがたいお話、喜んでお受けさせていただきますと承知しますが、私にはやくざ者の兄がおりまして、と身の上を話始めます。

春江の父は武士で、兄も相当に腕が立つがそれが害となって江戸で悪いことのし放題、御家人株も人に取られて、借金だらけで江戸に居られなくなり、大坂で兄妹二人で暮らしています。

私が稼いだ金で方々の博打場へ行って賭け事をしております。安次郎という名前で人呼んで「御家安」。私がお殿様のところへ行ってもまた金をせびりに来ることになるので、この兄と相談をして縁を切ってから参ろうと思います。

二百両の金を手切れ金として渡してやりたいと言うので、高橋は承知し、明後日の夜にまたこの座敷に来るからと言って別れます。

御家安と春江の縁切り

春江が家に戻ると、兄の御家安はもう帰っており「今日も博打でとられた。このところずっと取られっぱなしだ」などと笑いながら、軍用金が欲しいと言います。

春江が大名のところに奉公に行きたいと相談しますと、思った通り御家安は小遣いに不自由しなくなると承知しますが、春江は二百両で兄妹の縁を切ってほしいと言い、御家安も考えましたが承知します。

春江の我儘

二日後、高橋は春江に三百両を渡し、二百両を兄に、残りの百両で借金を返して迎えの駕籠に乗って屋敷に上がります。

器量がよくて利口な春江は殿に気に入られ、殿様はお春、お春と何でも言うことを聞いていましたが、その内春江は我儘になってきて、気に入らない者があると殿に告げ口をして暇を取らせたり切腹させたり、周りの者は恐くて近づけなくなります。

我儘はさらにひどくなり、ある日の深夜に神奈川の亀の甲煎餅が食べたいと言い出し、殿は江戸から神奈川まで深夜に買いにやらせます。

名馬に乗って十四里の道を一生懸命往復した馬術の名人の家臣 田宮に「遅いからもう食べたくなった」と言い、殿は田宮を叱責して目通り叶わぬと言われて切腹、機嫌の直らない春江は「殿とは口をきかない」と横を向いてしまいます。

前編(下)

御家安 江戸へ帰って福蔵の家に居候

御家安はもらった二百両で新町や博打場で遊んでいましたが、金も少なくなり自分も江戸にと、通し駕籠で十一日目に江戸の大森に着きます。

小料理屋で飲んでいると、昔の悪仲間 福蔵に出合い、浅草の福蔵の家に居候に入り、金は持っていますので上げ膳据え膳で暮らしております。

文化の二年七月二日の夜、御家安がへべれけになって帰ります。

福蔵の女房 おかめは二十七で色が白く小股の切れ上がったいい女。御家安は福蔵が吉原で遊んでいると言い、自分の心の入れ替えようによっては俺は侍になる。俺の女房にならないかと誘い、嫌がる女房をものにしてしまいます。

翌朝、帰ってきた福蔵に女房が泣きながら話し、福蔵は御家安に今すぐ出て行けと言いますが、御家安は兄弟分のためなら女房を吉原へ売ることもある。と動じません。

御家安とおかめ 田地見多次郎を訪ねる

それから二十日目の晩、福蔵の吉原通いに愛想がつきた女房は、二階に上がって御家安の蚊帳の中に入り「私はご新造さんと呼ばれたくなった」と蚊帳から動かない。

翌日、二人は手に手を取って逃げましたが、行き先がなく、昔の御家人仲間 田地見多次郎を訪ねて本郷の附木店に訳を話して居候をします。

この家は貧乏で何にも無く、御家安は持ち金をはたいてしまいます。

米屋を騙すおかめ

ある日、多次郎が一両あれば米を六斗五升買えるのでちょいと仕事をしようと言い出します。

本郷のゴミ坂に大きな搗米屋があり、おかめが一両の米を買い求め、家まで持ってきてほしいと頼みます。

店の者が米をかついでおかめに付いていくと、おかめはおもちゃ屋に入り、親類の子供の見舞いにと、中くらいの達磨を買って店を出ます。

しばらく歩いて、やはり大きい方がいいだろうと、米屋に頼んで取り替えにやらせ、米屋が戻ってくると米もおかめもいない。

店に戻った米屋、ご主人に「お金がないから達磨をよこしたんだ。達磨にはおあしが無い。」

後編(上)

芸者 おかまと御家安

多次郎が御家安に、銭儲けを思いついたが百両の元手がいると言い、女房のおかめに頼み込んで、新宿の見世に三年の年季で百二十両を手に入れます。

下谷青石横町のおかまという芸者、母親と女中の三人で暮らしで、女が良くて芸が出来て女が良くて物持ちがよい女でしたが、金や物を無性に欲しがり、金のない客は相手にせず八百両という大金を貯めていました。

ある暮れ方。雪が降りだしたおかまの家の前で、旦那見える人が腹を押さえて苦しがり、番頭が介抱をしている。

番頭に二百両をお屋敷へ届けるようと話しているのを聞いたおかまは、うちへ入ってお休みなさいと声をかけ、布団を敷かせて至れり尽くせり。

番頭が戻ってくると旦那は良くなったと言い、家の三人に金包みを渡します。

おかまは一杯召し上がれと酒をすすめますと、しばらく飲んで旦那は寝込んでしまい、おかめは番頭に、目が覚めたら駕籠で、あまり遅くなるようでしたらお泊めしますと先に返します。

おかまの災難

旦那が夜中に目をさますとおかめが枕元にいる。

一夜を過ごして翌々日。旦那に扮した御家安がおかめを訪ねて改めて礼を言い、おかめに十両、母親に五両、女中に二両を渡して、料理屋では不都合な商談があり、この家を半日ばかり貸して欲しいと頼みます。

翌朝、おかまと母親は芝居に出かけ、女中は残って四、五人の用事をしておりましたが、会合が終わり、旦那と番頭を残して帰って行きます。

旦那は女中に、おかまを迎えがてら一幕みておいでと駕籠代も持たせて外へ出します。

三人が帰ってくると九つの箪笥はみんな空っぽ、金箪笥の錠前も壊されて中の八百両や、布団から何から全て無くなっています。

後編(下)

忠義の田宮を追う御家安と多次郎

ある日、御家安と多次郎のもとに島野という武士が訪ねてきます。

東城左近太夫氏勝が、妾に上がったお前の妹のために乱行を重ね、忠義の武士は遠ざけられ、周りにいるのは悪いものばかりで自分もその仲間だと話し出します。

ところが、田宮という若い忠義者が、閉門中にもかかわらず播州にいる氏勝の兄に乱行を止めてもらおうと旅立った。

今朝旅立ったばかりだが、腕が立つので二人で追いかけて討ち取ってもらえれば、報酬は三百両、路銀として別に五十両出すから倹約をしないて使ってほしいと言う。

御家安と多次郎は承知して翌朝早く江戸を立ちます。

多次郎の死

駕籠を飛ばして藤沢、小田原を過ぎ、箱根で追いつきますが田宮は足が早く見失ってしまいます。

宇津ノ谷峠で田宮が煙草を吸っているのを見つけ、御家安が煙草の火を借ります。

連れになろうかと誘いますが断られ、播州へはやらない冥土へやると立ち会いますが、腕の立つ田宮は多次郎を斬り、御家安は刀を投げつけて田宮が身を躱す間に逃げ出します。

御家安はすぐに江戸に帰ることもできず、府中の友人の所で小博打を打ちながら暮らして、翌年三月に江戸に向かいます。

福蔵と御家安

神奈川で新羽屋という宿屋に泊まりますと、以前に女房を寝取られた福蔵が仇討ちだと御家安を探していて同じ宿に泊まっていました。

仲間の知らせで御家安が丸腰で駕籠に乗ったと聞き、三挺の駕籠を仕立て追い抜き、鈴ヶ森のお仕置き場で駕籠を降ります。

駕籠屋に、後から来る駕籠に乗っている奴に遺恨があると話して仲間に入れ、駕籠安を滅多斬りにして海に放り込んでしまいます。

駕籠屋にも口止め料を払って帰しますが、何処からか漏れ、福蔵は役人に召し取りになって処刑されてしまい、これで悪い者は全員いなくなってしまいます。

氏勝とお春 鶴殺し

さて、東城左近太夫氏勝。文武両道に優れて名君と名高かった氏勝がお春の方のために誰の意見も用いず、昼夜酒を飲んで始末の悪い暴君になっていました。

弥生の半ば、下屋敷の中ノ郷で花見の宴を開いていますと、丹頂鶴が松の枝に舞い降りてきます。

吉兆だと喜んでいますと、お春の方があの鶴を獲って庭で飼いたいと言い出します。

「蟇目(ひきめ)の法」と言って鳥の羽だけ射てば生け捕ることができると言われ、氏勝が弓をつがえて射ちますが、鶴も察したものか飛び立ち、矢は身体を射貫いて殺してしまいます。

鶴を殺せば町人は磔、大名でもお家没収。家来は「鴻(こうのとり)」を落としたと言い、一同も同意しますが、家に隠密で入り込んでいた女中が公儀に伝え、氏勝は切腹の上お家没収となってしまいます。

三遊亭圓朝の鶴殺疾刃庖刀の一席でした。  

覚書

鶴殺疾刃庖刀(つるころしねたばのほうちょう)。

やまと新聞に三遊亭圓朝口述、小相英太郎速記として全43段が連載されましたが、実は採菊散人(さいぎくさんじん・条野採菊・幕末から明治中期の戯作者・ジャーナリスト )の作で、圓朝は一度も高座かけたことがなかったと圓朝全集に記されています。

河内の国で二万石を取っていた家の実話をもとにした話で「ご子孫が今に連綿とご繁盛であらせられますから、お名前は憚りまして東城左近太夫氏勝と致しおきます」と前置きをしています。

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