突き落とし(棟梁の遊び)~三遊亭圓生・笑福亭松鶴・柳家小さん






お笑い・漫才芸人列伝お笑い・漫才芸人列伝
古今東西のお笑い・漫才芸人の貴重な映像・音声を集積。
明治・大正・昭和・平成・令和の数々の芸人を、映像と音声で紹介します。

Produced By 聴き比べ落語名作選


レトロアニメジャパンレトロアニメジャパンNEW!!
あの頃。夢中になって観たアニメやドラマ
昭和のアニメやドラマを映像で追体験!

Produced By 聴き比べ落語名作選



突き落とし~三遊亭圓生

金の無い連中が集まって、一銭も払わずに吉原で遊ぼうという悪知恵をめぐらせます。兄貴分は、「俺が考えた趣向がある。これをうまくやればタダで遊べるんだがどうだ?」と持ちかけます。

「俺は羽振りのよい親分になる。お前たちは子分になって、店の若い衆に声をかけられたら、親分の伴だからと一旦断れ。」

若い衆は「そう言わずにお上がりを」って言うだろうから、親分にお伺いを立ててくると言って「あっしたちはこれくらいの店で気兼ねなく遊びたいからどうでしょうか」と聞け。俺は「お前たちの付き合いで来たんだからお前たちが良ければ上がろうじゃねぇか」と言う。芸者でも揚げて酒を飲んでふんだんに食べて、翌朝になったら俺が紙入れが無いと言い出すから、、

覚書

生粋の江戸落語で、「居残り佐平治」「付き馬」と並んで廓噺の三大悪と言われる落語です。戦時中の禁演落語のひとつでもあります。

廓噺の三大悪は、いずれも後味の悪い噺ということでつけられました。昔のサゲは「今度は品川にしようか」というものでさらに後味の悪いものでしたので、志ん生はひどい噺だと一度も高座にかけませんでした。

圓生はサゲを「品川に行ってやりそこなうと言う、おなじみの突き落としでございます」に変えることで因果応報を匂わせて終わります。

冷静に見れば無銭飲食に加え若い衆への暴行という実刑クラスの犯罪なのですが、当時遊郭でひどい扱いを受けた男たちがこの噺で溜飲を下げたという時代の産物だったということだろうと思います。

現在の性産業でもひどい扱いを受けたりぼったくりがあったりと恨みを持つ人は少なくなく、この噺でスカッとしたという人も少なからずいるように思います。ひどい扱いを受けてリベンジする噺に改作すれば今の時代にも合う噺になるかもですね。

この噺も東西ともあまり演る人はなくなってきました。『突き落とし』は圓生以降はなく、『棟梁の遊び』は松鶴以降は桂文我がCD化している程度です。

棟梁の遊び~笑福亭松鶴

上方では『棟梁の遊び』文化年間(11代徳川家斉)の頃からの江戸落語ですが、松鶴が舞台を大阪に移して松島遊廓(大阪西区 当時は千代崎、戦後は九条)での噺として持ちネタにしていました。

こちらでは「払いをするから。」と姐さんについてきてもらってトイレに閉じ込め、「大工は棟梁、仕上げをご覧じ」と『大工調べ』でサゲています。

柳家小さん 突き落とし

突き落とし(棟梁の遊び)ディスコグラフィ

笑福亭松鶴 桂文我

突き落とし(棟梁の遊び)~三遊亭圓生・笑福亭松鶴・柳家小さん” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください