安中草三牢破り~古今亭志ん生・三遊亭圓生






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父とも思う半三郎のために盗みを犯して

安中草三牢破り~古今亭志ん生

安中草三 あらすじ

恒川半三郎

土屋能登守の家来の恒川半三郎は、父親はお料理方で半六と申しまして、十石二人扶持と言いますから極く小給の暮らしをしていました。半三郎は、小さい時から神田三河町の柳生流の奥義を極めた木曽川成瀬と言う剣術道場へ通い、みっちり仕込んでもらって年若い時に免許皆伝を取り、師匠が亡くなる時には『柳生伝書』という奥義書を譲られます。

半三郎と草三郎

道場の先輩で香散見草七という浪人が、病の為に命数もなく、半三郎に「伜の草三郎をあなたにお任せをするから立派な侍になるように」と頼み、半三郎は十六歳になった草三郎を引き取ります。

半三郎とおりえ

半三郎の父親の半六が病気になって亡くなり、石高不相応な大きな借財が残ります。奉公人にも暇を出し、草三郎に「これからは二人で借金を返すまではどうか我慢をしてくれ」と二人で手内職などをして、親の借金を返していくことにします。

ある日、同じ土屋藩の奥住弥兵衛が娘の”おりえ”と茶屋にいたところ、二人の浪人がちょっかいをかけ、弥兵衛が覚悟を決めて果たし合いになろうとした時、半三郎が通りかかって助けます。後日、礼に訪れた弥兵衛におりえを妻にと請われ、半三郎は貧乏世帯を理由に断りますが、おりえも進んで承知したとのことで妻に迎えます。これを殿様が聞きつけて立会いなどをさせ、なるほどあっぱれな腕前だと五十石に加増されます。

久保田伝之進の嫌がらせ

藩内で五百石をとる重役の久保田伝之進が、かねてからおりえに執心して自分の嫁にと思っていたところを半三郎に取られた怨みで、半三郎に毎日のようにさまざまな嫌がらせをします。おりえは「悔しかろうが自分の櫛を売って鰹節の折りを作ったので久保田の家へ持って行ってください」と言い、半三郎は久保田の家に向かいます。

久保田は「そちは”へつらい侍”だ。こんなもので落ち度を見逃せということか」と言い、また「来月の菊の節句のための紋服は用意できているか」と聞きます。半三郎は「金がなく用意できていない」と言いますと「金がなければ貸してやろう」と五十両を渡してくれます。半三郎が証文を書いて家に帰りますと、おりえも喜んで紋付きを染めにやって縫い上げます。

久保田の計略 おりえの決心

大小も受けだして明日が節句という晩。おりえが里に用があると出かけると、久保田の若党が家を訪れ「即刻金を返せ、返せなければ刀と着物を持っていく」と言う。刀と着物を持って出ようとする若党に草三郎が見かねて飛び出し「二、三日だけでも待ってほしい」と頼みますが殴りつけて去ってしまいます。

草三郎が「城下に買い物があるから」と外へ出ていくと、入れ違いに戻ったおりえがこの話を聞いて半三郎に「久保田を斬ってその後、私も斬ってください」と言い出します。おりえは「”久保田とおりえが密通をしており成敗をした”と言えばお家もつぶれないで済む。私は半三郎の妻になる前から久保田と密通をしており、お腹の子供も久保田の子だという手紙を書く」と言います。

久保田斬り 草三郎との別れ

半三郎は承知し、別れの杯を交わしているところへ草三郎が刀と羽織を持って帰ってきます。「あちこちで借金をして集めた金で取り戻した。褒美として今日限りで暇をいただきたい」と言い出し、自分で縁切りの証文を書いて出ていってしまいます。

半三郎は「草三郎が出ていったのも久保田のため。おりえ死んでくれ」と身支度をして久保田主従三人を討ち果たします。「私をお斬りください」とその場で手を合わせたおりえに半三郎が刀を振り上げたところへ草三郎が現れます。「自分が久保田を斬ろうと来たが間に合わず控えていた。五十両の金は盗んだものでどうせ助からぬ命だから」と、半三郎の身代りに久保田を討ったと名乗って出ます。

その後の半三郎とおりえ

草三郎が自首した後、半三郎はおりえとともに、上州にいる藤助という昔使っていた若党のところへ世話になります。おりえは女の子を出産しますが産後の肥立ちが悪く寝込んでしまいます。

手持ちの金も底をつき、半三郎はおりえの実家に金を借りてきてほしいと藤助に頼みますが帰って来ず、調べてみると途中で殺されています。殺したのは地元の”八咫烏の九兵衛”という悪党で、仲間の”六”に、「いい仲だった女郎が藤助の女房になったことに腹を立てて藤助を殺した。そこに浪人がいて、その女房は寝込んでいるが、売れば二百両や三百両になりそうないい女だ」と言う。

邪魔な半三郎を、「伊香保に良い医者が来ているから迎えに行こう」と駕籠に乗せ、前後から刺して殺してしまおうと企みます。

手鏡に命を助けられた半三郎

九兵衛が藤助の家に行って「医者を連れてこよう」と話をします。半三郎はおりえの枕元で「行ってくる」言い、おりえは「魔除けになりますから」と手鏡を渡します。

半三郎が駕籠に乗り込み、山の中へ差し掛かりますと看病疲れもあって寝込んでしまいます。ふと目覚めて外を見ますと日も暮れようとしており、景色に見とれておりましたが、妻の容態に変化はないかと鏡を取り出し、やつれた自分の顔を見ているところへ駕籠が止まって鏡に短刀が映ります。

後ろから突いてきた腕をつかみ、前からの短刀を鏡で防いで駕籠から転がり出て九兵衛の仲間の駕籠かき二人を斬って捨てます。

草三郎の牢破り

一方、久保田主従三人を殺したと自首してきた草三郎を取り調べた奉行は、この者がやったのではないと思い、あくまで自分が殺したと言い張る草三郎を牢へ入れておいていろいろと調べますが手がかりは出てきません。九月に名乗って出て三月まで六ヶ月、牢に入れられたままで呼び出しもありません。

牢に、博打で間違いを起こして人を二人ばかり殺した”白蔵”という男が入ってきて、草三郎の身の上を聞きますと、白蔵はここに入ってくるまで草三郎の地元大田原にいたと言う。草三郎の母親も知っており、昨年の十一月頃に自分の息子が泥棒に人殺しをしたので村にいられなくなったと言って出ていったと言う。

母親はさぞかし自分を憎んでいるだろうと嘆く草三郎に、白蔵は「娑婆に出たいか」と聞き、白蔵と兄弟の約束をして牢破りの相談をします。

九月十三日、大嵐の夜。二人は牢名主の肩を揉んだり足をさすって寝かけたところを首を締め、石で殴って殺し牢内の連中に牢破りをもちかけます。皆で牢の土を掘らせて着物で作った縄梯子をたらし、矢来を破って外へ出て水門をくぐって牢破りに成功します。

山の中で一月ばかり隠れ住み、江戸へ戻った白蔵と草三郎は呉服屋に押し込みに入り、植木屋の職人となっていた半三郎と闇試合を行うという、後開榛名梅香(おくれざきはるなのうめがか)お時間でございます。

覚書

三遊亭円朝が明治5年(1872)に創作した人情噺(世話物)で、”草三郎”は『後開榛名梅香(国立国会図書館デジタルコレクション)』に登場する江戸時代の盗賊・侠客として、講談や浪曲、歌舞伎、浄瑠璃でも人気の演目でした。大変長い噺で『牢破り』以外は聞かれなくなりました。

草三は、実在の有無についてもはっきりしていない人物ですが、若年の頃に空腹のために賊となり、改心して土浦藩(現:茨城県土浦市)に奉公。主人を助けるために刃傷沙汰を起こして入牢しますが脱獄。その後は博徒・侠賊となって潜伏していましたが、三十六歳の時、吉原で捕縛されて小塚原で処刑されたといわれています。

圓朝が、群馬県安中市にいた侠客 “榛名の梅吉”について詳細な現地取材を行い、物語の中に実在の場所や、梅吉が妻のお歌の首を差し出して年貢の軽減を願い出たことなどを聞き、また、草三郎が牢破りをした後の変名を”梅吉”としたことから、地元の人達でも梅吉=草三郎と認識されているようです。安中三丁目には安中草三の碑があり、近くの十輪山東光院に 梅吉の妻”歌”の墓が残っています。

圓生は昭和48年(1973年)の圓朝祭りで演じた以外の口演はなく、志ん生もあまり多くはかけていません。最近では彦六の正蔵の弟子、林家正雀が上の噺を通しで演じています。

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