百川~三遊亭圓生・志ん生他【動画】



三遊亭圓生~百川

江戸は日本橋、浮世小路にあった名代の料亭「百川(ももかわ)」に、百兵衛という下働きの男が来ます。

当分洗い方の手伝いをして、慣れてきたら出前なども頼みたいと話していると二階のお客さんから呼ばれます。

女は髪結いが来ていて手が離せない、仕方がないので百兵衛に行かせます。

「ワシはこのシジンケのカケアイ人で、シジンケの申されるのに、ご用があるで、ちょっくら伺ってこぇちゅうことで、」

百兵衛は「主人家の抱え人」と言ったのですが、客は「四神剣の掛け合い人」と聞き間違え、酒や料理を百兵衛に勧めて、今日のところはこれで飲み込んでそのまま帰ってほしいと頼みます。

クワイのきんとんを勧められて飲み込めと言われたので、百兵衛は無理やりに飲み込んでむせてしまい介抱されて退出します。

客は魚河岸の若い衆で、祭りの時に隣町から借りた四神剣を質入れして遊びの金にしてしまったのですが、そろそろ祭りが近づいてきたので返して欲しいと言いに来たと勘違いをしたのでした。

客は用事が済んでないので、また手を叩いて人を呼びます。

再度上がった百兵衛を見て、客は何かお忘れ物でも、と聞きますがようやく勘違いに気づきます。

使用人なら、頼みたいことがあると、常盤津の師匠 歌女文字(かめもじ)のところへ行って、「百川に今朝から河岸の若い者が四、五人来ているから来てくれ」と伝えるように言います。

出かけた百兵衛、名前を忘れて「か」のつく有名な人、と訪ね、それなら医者の鴨池(かもじ)先生だろうと教えられます。

「魚河岸の若い方が、今朝がけに四、五人来られやして」と言ったのを、先生は
「魚河岸の若い方が、袈裟懸けに四、五人切られやして」と聞き違え、これは大変だと百川にかけつけます。

覚書

百川の宣伝のために作られたという話で、実際にあったことだとも言われています。

明治になって廃業しましたが、ペリー来航の折に幕府の命で一行を接待し、千両を幕府に請求したということでも知られます。

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