木乃伊取り~三遊亭圓生・立川談志・柳家さん喬



吉原角海老に居続けの若旦那をどうにか連れ帰ろうと

木乃伊取り~三遊亭圓生

若旦那が三日も帰らない。心配して探し回りますと吉原の角海老で居続けていることがわかります。

主人は番頭に命じて迎えに行かせますが、番頭も帰ってきません。
今度は鳶の頭に頼みます。

頭は「そりゃあ無理もねぇ、歳は若いし男っぷりはいいし、女がちやほやするのも無理は無い、御免被りたいと言いてえところだが」と言いながら引き受けます。

覚書

吉原各海老 若紫花魁

角海老絵葉書


さて、海老屋。吉原でも格式の高い大見世のひとつで、樋口一葉の「たけくらべ」に 「角海老が時計の響きもそぞろ哀れの音を伝へるやうに成れば」と綴られ、この店の時計塔は吉原名物として絵葉書にもなっていました。

また、海老屋は明治を代表する悲劇の花魁 若紫がいた廓としても知られます。
若紫は十六歳の時に大阪から吉原へ。容姿端麗才色兼備、またたく間に人気となり普通は十年かかるという年季が五年であけます。身請け話も数あれど、すべて断り年季があければ恋しい人と世帯を持つ約束。

しかし、そのわずか五日前、他の妓楼の花魁と心中をはかろうとした男が、その花魁が別の客を取っているのに激怒、ふらりと入った角海老でたまたま廊下を歩いていた若紫に近寄るや匕首(あいくち)を若紫の首に突き立て、返す刀で自害、あわれ若紫は二十二歳の生涯を終えます。

「楼内一の遊妓にて、その心も人も優にやさしく全盛ならび無かりしが、不孝にして今年八月二十四日思わぬ狂客の刃に罹り、二十二歳を一期として非業の死を遂げたる」
(永井荷風 断腸亭日常 浄閑寺 若紫塚記より)

遊女は死ぬと近くの浄閑寺へ「投げ込み」されるのが普通でしたが、角海老や他の楼の旦那、客も加わってこの浄閑寺に墓を建て「紫雲清蓮真女」という法名を墓に刻み、今に残ります。

この話、誰か落語にしてくれませんかね。

木乃伊取り~立川談志

木乃伊取り~柳家さん喬

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