抜け雀~桂米朝・古今亭志ん朝・立川志の輔他【動画】



宿代のカタに描いた雀の絵が

桂米朝~抜け雀

東海道小田原の宿、小松屋清兵衛という宿に泊まった三十前後の男、ひどい格好ですが、主人の清兵衛は宿を提供します。

朝昼晩に一升ずつ呑み、たまりかねた小松屋の女房にせかされて清兵衛が本日までの勘定を、と催促しますが、男は「金は一文もない」と言います。

衝立に雀の絵を描いてそれを宿代のカタに、宿代を支払いに戻ってくるまで売ってはならぬと言って立ち去ります。

もともと桂派のネタで、三代目文枝が明治三十九年に伏見宮で御前口演をした記録があり、雀は室内を飛び回るだけのものであったと言いますが、米朝は東京式に窓の外へ飛び出していくかたちに変えています。

舞台が小田原ということもあり、今では東京の落語として定着して関西では滅多に演る人もいなくなりました。米朝もあまり高座にかけることのなかった噺です。

サゲについては、浄瑠璃の「双蝶々曲輪日記」(ふたつちょうちょうくるわにっき)橋本の段の吾妻の口説き

野辺の送りの親の輿
子が舁くとこそ聞くものを
いかに知らぬと云ふとても
現在 親に駕籠舁かせ 

と自分の親不孝を嘆く場面をかけ、米朝はその科白そのままに
「現在 親に駕籠を舁(描)かせた」で落としています。
今ではわかりやすく「親を駕籠舁(描)きにした」とする演者が多いですが、こちらのほうが余韻があります。

旅人に法外な料金を要求したり、女性を乗せて乱暴をはたらいた上に女郎屋に売り飛ばすなど、雲助などと呼んで嫌われていた駕籠舁きと浄瑠璃、この二つの背景が理解されていた時代では現在以上に共感を呼ぶサゲだったろうと思います。

古今亭志ん朝~抜け雀

立川志の輔~抜け雀

古今亭志ん生(五代目)~抜け雀


抜け雀という演目では、この人ははずせません。
この噺を確立させた功労者。現在の抜け雀は志ん生作と言ってもよいもので、当時他の人は遠慮して演らなかったと言います。

金原亭馬生~抜け雀


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